ゲームへたおじさんドットコム

1977年生まれの文系社会人。どこのクラスにも10人はいたような男のゲーム日記とメモと寄る辺のなさ。

無意識の過剰さ、機械による彼岸からの言葉

久しぶりに田中孝太郎さん(@dotimpact
がまとめた「About This Game」を読み返していた。ゲームのプレスリリースや紹介記事に出てくる奇妙な言葉をまとめたものだが、編纂時から時間が流れていることでさらに滋味溢れるものになっている。

text-perforation.doppac.cc

元のプレスリリースや紹介文はだいたい10年代前半くらいまでのものが主だが、あの当時はソーシャルゲームバブルやアプリゲーム勃興期だったので、思いつきみたいな企画とかぼんやりした会社がまだあったということなのだろうと思う。いやでも、80年代のゲームブームのときに語られていた奇妙な広告の文言ともまたちょっと違った、無意識の過剰さとでも言うべきものがここには溢れているんじゃないだろうか。たぶん「プレスリリース」という形式、それをそのまま機械的に記事に落とし込むというルーチンワークにこの無意識の過剰さが生まれる素地があるのではないかと思っている。

俺も「ゲームの間抜けな言葉」カテゴリの記事で時々目に付いたものをピックしているが、2014年に書いた以下の記事で

ゲーム内で語られるいわゆる「物語」と、ゲームのシステムの間のある種のズレ・乖離・キャズムが、こういう間抜けさを生み出すのだと俺は思っている(具体的には、そのズレに無頓着な人間がルーチン的にワードを吐き出すことで間抜けなフレーズが生まれる。殊に紋切り型の表現を使うと間抜けさに陥る危険性が増す)。(中略)何も間違ってはいないのだが、絶対的におかしい、という彼岸。

(中略)

ただ勘違いしてほしくないのだが(誰に?)、俺はこういう、ゲームの間抜けな、雑な言葉を批判しているわけではまったくなくて、むしろ、否、完全に愛しているということだ。「無料で遊べちまうんだ!」というのは何度でもタイプしたい文字列だ。こういう種類の表現は、ビデオゲームの最もチャーミングな部分のひとつである、とさえ俺は思っている。

なんてことを書いていて、今もその考えは基本的に変わってないけど、人間のルーチンワークじゃなくそのものずばり機械的に最適化したときの「彼岸からの言葉」感にはある種の戦慄も禁じ得ないところはある。上記記事の続きの以下の記事のような事例なんかが特に。