ゲームへたおじさんドットコム

1977年生まれの文系社会人。どこのクラスにも10人はいたような男のゲーム日記とメモと寄る辺のなさ。

Ghostwire: Tokyo

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PS5本体は買えたのにまだPS5用ゲームは買ってないのはもったいないってのと、最初のトレーラーからちょっと気になっていたというのとで『Ghostwire: Tokyo』を購入。プレイしております。

プレイ時間は10時間ほど。だいたい全体の半分くらいまでは来たのかな? 賛否両論ある(どっちかというと否のほうがやや多い……? という感じ)タイトルだけど、俺はかなり楽しんでいる。東京・渋谷を舞台にしたオープンワールド系ゲーム。でも、龍が如くシリーズの神室町=歌舞伎町のような「現実の街の再現性」にはあまりこだわらず、渋谷を始めとした東京各地の印象的なランドマークを組み合わせ、それをヴェイパーウェイブ、ネオン、グリッチ、ニューレトロ……というようなザ・ミレニアルなデザインの要素、エフェクト、ニュアンスでデコレートし、そこに都市伝説やネットロア、さらに日本の古典的妖怪なんかを無節操にトッピングしたかなり独自のアートワークとなっている。こういうのはちょっと見たことない。個人的にはとても眼福。上に貼り付けたスクリーンショットには入っていないが、いわゆるイベントダンジョン的なステージでぶっ込まれる、主人公=プレイヤーを戸惑わせる幻覚表現は特に楽しい。これはぜひ一度見て、プレイしてもらいたいな。

あと主人公と、主人公に憑依した霊(?)みたいな存在の掛け合いは映画『ヴェノム』をもっとさらにブロマンスにしたような感じのそれなので、そういうのが好きな人にも楽しめると思う。

 

Ghostwire:Tokyo(ゴーストワイヤー トウキョウ) -PS5

ネバーエンディング・サムシング

ヴァフィョーン原氏のTweetより。

これがすごい。どうすごいかはYouTubeを確認してほしいが、なんていうかすごい。一番すごいなと思ったのは、ボーナスステージでリマールの「ネバーエンディングストーリー」が流れて、まあその……やりたくなるのはわかるんだが……2020年にそれをやるのか……と衝撃を受けていると2番の歌詞になったあたりで制作者クレジットがインサートされるところ。最高にダサいんだが、このダサさには見るべきものがある。そういうものが世の中にはある。

youtu.be

youtu.be

 

※後日追記
DATEXさんから、これはSIEのクリエイティブプラットフォームソフト『Dreams Universe』(英語タイトル:Dreams)で作ったものじゃないかと指摘があった。確かにYouTubeの概要欄にそう書いてあったわ……。この何というか不思議なパチもの感は、フルスクラッチで作ったものじゃなく『Dreams Universe』での「再現」だってとこにも理由があるかも。

2021年11-12月のゲームプレイ

月ごとにちょっとしたまとめ記事を書いておくと、後で読み返したときに俺が面白いというか自分内タイムラインを整理しやすいかなと思って始めてみたのだが(基本的に俺はこのBlogを自分で読んで面白がるために書いている。雑多Blogのほうも含めて長いことやってきた結論としてそれが一番良いということだ)、あっという間に毎月書けずに溜まってしまった。でもまあそれでも別にいい。そんなことを気にしていてもしょうがない。時間が空いたときに、気の向いたときに書けばいいのだ、自分の楽しみのためなのだから……というわけですでに2022年2月だが、2021年11月と12月のまとめ。

2021年11月から12月にかけてプレイしたゲームでBlogで触れていなかったもの、その周辺のことがら、あるいはプレイしなかったゲーム、等々のメモ。

 

『Frostpunk』

極寒の地を舞台にストレスフルな状況下で厳しい決断を迫られる、とても辛くてコンパクトなシムシティ、みたいなゲーム。2020年にプレイして(PC Game Pass)とても面白いのだが難しくかつなんとも荒んだ気分になる内容が感慨深かったのだが、そろそろ寒くなってきたのでまた別のシナリオでプレイした。面白い。

昔、夏になるとゲームキューブの『スーパーマリオサンシャイン』をプレイする、ということをやっていたのだが(あれはとてもいい夏ゲームだった)、これは今後も寒い時期になったらプレイする季節行事タイトルになるかもしれない。

もうひとつメモしておきたいのは、このゲームのテーマ曲(オープニングムービーで流れ、ゲーム中にもそのメロディの変奏が使われている)のサビの部分が映画『28日後…』『28週後…』のテーマ曲で繰り返される印象的なフレーズをたぶんけっこう意識しているという点。『28日後…』『28週後…』も劇中で共通のフレーズの曲がさまざまなアレンジで使われているが、直接的には『28週後…』で最も辛いシーンであるオープニングシークェンスで使われていたアレンジ(「Don Abandons Alice」)のギターのフレーズを意識していると思う。『28日後…』はともかく、『28週後…』は全編を通じて荒んだ映画で、物語としては共通項はないがそういうアトモスフィアの部分にこのゲームと通じるものがあるといえばあるかなー。あの映画の雰囲気が好きな人ならたぶんこのゲームは好みに合う気がする。

『Frostpunk』のオープニングムービーは世界設定とゲームの目的を端的に語るものだが、陰鬱ながらも次第に力強く、あるいは狂信的になっていくナレーションとテーマ曲の盛り上がりが合わさり、なんとも荒涼とした、日常として続いていく世界的規模の絶望というゲームの雰囲気を表現した好編だと思う。


www.youtube.com

こっちは『28週後…』の「Don Abandons Alice」。聴き比べてみてほしい。


www.youtube.com

 

『ピクミンブルーム』

『Pokémon GO』に次ぐ任天堂×Nianticの位置情報ゲーム第2段。11/1に配信開始され、わりとすぐに始めた。

時勢を反映してか「位置情報ゲーム」味は控えめな内容になっている。というか実質的にはちょっとリッチな歩数計アプリといったところ。歩数カウントはスマホ自体のセンサー情報から取ってきているし、地図内のオブジェクトへリアルタイムに何かアクションを起こすという要素もないので、別に常時起動しておく必要はない。位置情報ゲームは複数タイトルを並行してプレイし続けるのが難しいので、あくまでサブ的な立ち位置としてこういった控えめな仕様なのだろう。逆に言えばやることがあまりないゲームなので(少なくとも現状では)、そういう意味ではプレイヤーの盛り上がりがあまり見られないタイトルではあるかもしれない。

でもピクミンはかわいいので、今もなんとなく続けている。こういう平熱感覚で日常のルーチンに組み込まれるタイプのゲームだと思う。

 

『おねがい社長!』

2020年は『魔剣伝説』だったが、2021年は『おねがい社長!』のどうしようもない広告をいたるところで見た。本当にどうしようもないのだが溢れ出る中国マネー力(ちゅうごくまねーちから)はやはり時代の記憶として残しておきたい気もする。そんなわけでアプリをインストールしてみた。もちろんCMの映像とはぜんぜん違うゲーム内容なんだが(放置系のファーミングゲーム亜種)、ローカライズのこなれてなさとは別の部分でよく理解できない展開もあって不思議な気分になる。まあ一応、見ておこうということで。

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この最後の、横スクロールで金を消費しながら進んでいくところがなんだかよくわからなかった。いや意味はわかるんだけど、なんかこう、なんか……。

 

『世界樹の迷宮』

ある程度の周期で昔のRPGをプレイしたくなる時期が来るのだが、それが来た。いつもは漠然と何かなんでもいいから昔のRPGを……という感じになるのだが、今回ははっきりとこれをやりたいというものがあった。ニンテンドーDSの『世界樹の迷宮』一作目だ。

これは2007年の発売当時に買ってプレイしたのだがごく序盤(第一階層3階くらい)で躓いてなんとなくそれっきりになっていた。そのうちちゃんとやり直そうと思ってズルズルここまで来てしまったのだが、この機を逃さず再挑戦しようということでソフトを棚から引っ張り出して始めた。

とりあえず初期選択可能な全職業のキャラクターを作り、パーティーの組み合わせを変えながら少しずつ迷宮を探索していく。戦闘はシビアで、キャラクターのスキルもどれを伸ばせばいいのかがゲーム内ではほぼヒントがないのですべて手探りだ*1

まあでもあまりストイックにやる必要もないよなということで、発売当時に躓いたところくらいまで来たあたりで攻略Wikiを少しだけ参照する。えー、そんな大事なことゲーム内で説明ないじゃん! みたいな仕様もあったり、バグでゲーム内の説明テキストとは違う挙動になっているスキルがあることを知り、これは攻略情報片手にやったほうがいいだろうということにした。マップだけは見ないけど。

そんなわけで11月末からちくちくやって、12月末あたりにドラクエで言うところの「はがねのつるぎ」が手に入るくらいのタイミングになった。つまりRPGで最初に楽しさがぐわっと盛り上がるタイミングだ。とても面白くなったので何かに還元したい思いが高まり、Amazonで当時出た攻略本を新刊で買った。

おーまだ新品在庫があったのかーと油断したのがいけなかった。1クリックで買ったから受注メールが来るまで見逃してしまったのだが、これがAmazon倉庫発送のマケプレ品だった。届いてみたら、めちゃくちゃ汚い古本だったのだ。カバーへの汚れ付着、本文ページの半分くらいまでいたる大きな水濡れ跡、それに伴うカビ等々。

受注メールを見て、マケプレ品だからいわゆる「新品」じゃないかもなー、でも元の定価と同額だしAmazon倉庫発送だから最低でも新古品相当ではあるだろう……などと思い込んでいた俺が馬鹿だったよ。怒りの返品手続をして駿河屋で注文し直した。

マケプレ品でもAmazon倉庫発送だと優先して商品ページに掲載されるし1クリック購入も可能になるので、ゲームとかガジェット関係では気をつけていたが(というかここ数年はなるべくAmazon以外を使うようにしていた)、なんとなく本は大丈夫だろうと高をくくっていたところはある。これからは本も気をつけよう……。

まあそんなこともありつつ、これを書いている今(2022年2月)もまだやってる。現在第二階層7階。まだそこかよという感じだが、ゆっくりやってる。

 

『大乱闘スマッシュブラザーズ SPECIAL』

2021年は2D格ゲーに対する苦手意識をメルブラで少しだけ克服したのだが、その流れでもしかしたらこっちもそろそろいけるのではないかと、12月に『大乱闘スマッシュブラザーズ SPECIAL』をプレイしてみた。最後の追加ファイター参戦、最後のバランス調整アップデートが終わったこのタイミングで満を持してという感じだ。別に待ってたわけじゃないが。

スマブラについては2D格ゲーの中でも特に苦手意識があって、それでも以前Wii U版の『大乱闘スマッシュブラザーズ for Wii U』は「そろそろ向き合わないとな」と思って買ってプレイしてみたのだがまったく面白さの勘所がわからず、さらに言えば操作もおぼつかないし画面内で何が行われているのかもほとんど把握できず敢えなく放り投げた。2時間弱もプレイしていない。その時点で「これは俺にはなんか無理だな」と思ってしまったのだった。ただ、毎作のお祭り騒ぎ的なプロモーションやファンの盛り上がりは傍から見てても楽しく、俺もそれをちゃんと味わいたいなという思いは引きずっていた。

そんなわけなので、年末だしもう一度挑戦してみるかと本作を買ったのだが、今回も最初の1~2時間は正直言って「やっぱダメかも」と思っていた。画面内で何が行われているのかやっぱり把握できない。それでも、豊富に用意されたモードをちょっとプレイするたびに新しいファイターが参戦してくるのにはなんともいえずおめでたい感じがして、年末だということもあってなんだか妙に嬉しい気分が湧き上がり、じゃあもうちょっとやってみるかと今度は早々にあきらめずに続けることができた。成長だ。

そのうちに操作もなんとなくわかるようになり、画面内で何が起きているのかも把握できるようになり、シングルプレイ用モードの「灯火の星」をプレイしているうちにいつの間にか時間が溶けていった。良い。やっとスマブラの良さがわかった。スマブラの良さとは(シリーズ過去作にはほぼ触れていないので主語を限定するなら、少なくとも本作『大乱闘スマッシュブラザーズ SPECIAL』の良さとは)、つまりほとんどやけっぱちのような「おめでたさ」であり、プレイヤーを強引に祝祭空間へと叩き落とすような、おもてなしなどという上品な言葉では足りない、むしろ「パワー」とか「圧」というワードに近いアトモスフィアにある。そして俺はこのゲームをプレイしている最中、画面内で行われている何かの向こう側に、桜井政博という男の存在を常に意識してしまっていることに気づいたのだった。桜井政博のあの一見穏やかな表情と語り口の奥に潜む常人とは明らかに違うサムシング、たぶん我々のような凡人とは違う上位レイヤーから、あるいは我々よりも先の位相からビデオゲームを視ているに違いないあの男の彼岸からの波動を、どうしても意識せざるを得ないのだ。それは一言で表せば「過剰さ」なのだが、量的に過剰でありながら混沌には突入せず細部まで神経質に手が入っている、つまり「コントロールの過剰さ」に畏怖を覚えてしまう。

なんかそんな感じがする。そんな感じがするんすよーなんかー。みたいなことをぼんやり考えつつ、気が付けばダラーッと遊んで時間が溶けていく。この「ダラダラと遊んでしまう」タイプのゲームってのがあるよね、なんかこう、ある種のゲームにはそういうとこあるよね、なんてことを思いました。

 

PS5購入

PS5専用ソフトで遊びたいものがまだほとんどないんだが、なんとなく応募した抽選に当選してしまったので購入。PS4は我が家では退役して他の家にもらわれていった。今のところPS4ソフトでしか遊んでないのだが、ファンが静かになっただけでもだいぶ快適だ。が、ホーム画面のインターフェースやスクリーンショット・プレイ動画の共有方法など、PS4とは設計思想が微妙にあるいは大幅に違うところがけっこうあって、まだそこに戸惑うことが多い。あとやはり自宅のテレビの横に置くと改めてその大きさに驚くな。

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久々の帰省、急にゲームをやるようになった旧友

コロナ感染者数がかなり少なくなった(でも諸外国の動向を見るにこの先また急増するんだろうなということがなんとなく見えてきた)タイミングを逃さずに、ということで11月中旬に久しぶりに実家へ帰省した。本来であれば2020年の3月に帰省して父親が使っているPCを新しいものにリプレイスする予定だったのだが、こういう情勢なので延び延びになっていたのだ。2020年初頭にあらかじめ実家へ配送しておいたDellのPCをここでやっとセットアップし(足かけ2年だ)、ついでに母親用にiPad miniをセットアップしてLINEを使えるようにしていろいろ教え……というようなことをやって、とりあえずこれでなんとか一安心となった。

時間を見つけて旧友と飲みに行ったのだが、ちょっと会わないうちにゲームをやるようになったと聞いて驚いた。中学高校の頃は人並みにゲームに親しんでいたと思う旧友だが、その後はゲームからほとんど離れて別の趣味のほうに行っていたので、ここでまた戻ってくるとは意外だった。彼は飲食の仕事をしていて帰宅が深夜になるのだが、そこから朝まで酒を飲みつつプレイするのだという。がっつりと重量級のタイトルを何本もすごい勢いでやり込んでいるというので(どう考えても俺よりもゲームをやり込んでいる)なんだか嬉しくなってしまった。東京に戻ってから、旧友がまだプレイしていないであろうゲームを何本か見繕って送ったらそれもまたすごい勢いで消化してるっぽいのですげえなあと思った。

 

年末の獣道とRTA Japan

年末はTwitchをテレビに映して、RTA in Japan Winter 2021を流しながら掃除なり細々したことなりをやっていた(なんせ26日から31日までずーっとやってたからね)。12/30はこれに獣道 IVもあったので、朝からずっとTwitchを見ていたわけだが、いやー、獣道はどの試合もすごかったな。2試合目の『怒首領蜂 大往生』だけはわりと爽やかに終わったけど、後はどれもなんかこう情念というか、敢えて流行りの言葉で軽薄に言うならば「男同士のクソデカ感情」みたいなものがダダ漏れてくるような感じで、年末になんでこんな……という気分にまでなった。個人的には特に3試合目、『ぷよぷよテトリス』での あめみやたいよう 対 kazu 戦の決着の付き方に戦慄してしまった。

それとは関係ないけど、RTA in Japanとか獣道見てると、この二三年でゲームプレイ興行での解説者役の人たちの「そのゲームを知らない人への解説スキル」がすごくレベル上がってきてるなと感じた。獣道は煽りVの作り方もすごくうまくて、こんな感じでいわゆるe-Sportsの「試合」ではなく明確に「興行」を指向したイベントがもっと出てくるといいんではないかなーと門外漢としては無責任に思った(獣道へは3000円投げ銭した)。

kakulog.com

 

「獣道 IV」のアーカイブは以下。

www.twitch.tv

*1:調べたら、さすがに二作目からはどのスキルの組み合わせで新しいスキルがアンロックされるのかはゲーム内で情報が出るようになったそうだが。

「憧れのゲーム」概念とゲーム・エキゾチシズムについて

一昨年から……つまりコロナ禍になってから、家で過ごす時間が長くなり、まあいろいろなことをそれまで以上に無駄に考えるようになったわけだ。それで、ゲームについてもいろいろ考えているわけだが、こういう情勢下だからか、あるいは四十路の折り返しに近付いているという年齢のせいなのか、小学生から中学生にかけての頃の自分とゲームの関わりについて思いを巡らすことが多い。年をとるにつれ、子供のときのことを思うようになっていくわけだ。

そういったぼんやりした思考の連鎖・連想の流れで発見した自分の中での新概念として「憧れのゲーム」というものがある。別にそんな深い含みのある言葉ではなくそのままストレートに、子供の頃に憧れていたゲームのことだ。新概念っていうほどじゃねえな。

ゲームに初めて触れてから中学生くらいまでの頃、つまり俺の場合だと80年代半ばから90年代初頭にかけてということになるが、その頃に雑誌やテレビCMなどで見てプレイしたかったけれど叶わず、結局今に至るまでそのまま未プレイになっているゲームたち。それが概念としての「憧れのゲーム」だ。

今は実機に拘らなければ昔のゲームをプレイする環境は豊富なので、そんな「憧れのゲーム」をときどき買い求めてはプレイし、感慨に耽っている。このなんとも言えない感慨を無理に言葉にするなら――これはもう、今プレイして面白いとかゲーム史的に重要であるとかそういったこととはまったく無関係な、世間的な価値基準や他者の視線から完全に自由な、つまり極私的なリビドーの解消であり〈過去の自分〉を改めて分析する営為と言えるだろう(言えるだろう、と言われても困るだろうが)。当時叶わなかったリビドーを今叶える、しかし〈今の自分〉にはすでにそのリビドーはなく、〈過去の自分〉がなぜこのゲームにリビドーを抱いていたのかを俯瞰して見ている……というような感覚だ。

 

例えば、セガ・マークⅢ版『SDI』。これは確かTV CMで画面を見て憧れたのだった(アーケード版の存在は当時知らなかった)。小学四年生の頃だろうか。たぶん日曜の朝*1に放映していた『赤い光弾ジリオン』の提供CMとして流れていたのだろう。『アーノルド坊やは人気者』か『ファミリー・タイズ』を朝8時から見て、8時半からはジリオン、というルーチンだったはずだ……これをレトロフリークでプレイしたのだけど、なんか感無量だったね。

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スクウェアの『ハイウェイスター』(FC)。これは雑誌の記事と広告で見て憧れたもので、なので広告と同じビジュアルが大きくあしらわれた箱付きのものを手に入れたのだった。むしろ、ゲームそのものよりもこのビジュアル自体に惹かれたのだと思う。長じてからはクルマにはとんと興味が湧かないのに、なんでかこれには惹かれたんだな……。これもレトロフリークでプレイした。動いているところは見たことがなかったんだけど、路面の起伏表現が素晴らしく(さすがはナーシャ・ジベリ)、たいへん満足したのだった。

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『ハイウェイスター』は数少ないファミコン3Dシステム対応作品なわけだが、やはりそれらはどれも「憧れのゲーム」で、『アタックアニマル学園』『JJ』『ファルシオン』あたりなどは、いずれ機会を見つけてやってみたい(ディスクシステムはちょっと難しいと思うが)。『アタックアニマル学園』は真鍋博みたいなパッケージアートも印象深いので箱付きで。

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画像引用 https://www.mobygames.com/game/nes/attack-animal-gakuen/cover-art/gameCoverId,298722/

 

アーケードアーカイブスで配信された『ハレーズコメット』も即購入した。かつてのTRYアミューズメントタワーのレトロゲームフロアやHeyの2階の隅で常に稼働している(そして常に誰かが黙々とプレイしている)ゲームという個人的な印象がある。アーケード版は一回もプレイしたことはなかったが、これもある種の「憧れのゲーム」だったのだ。

正確に言うと、憧れだったのはアーケード版ではなくディスクシステム移植版の『ハレーウォーズ』だ。移植されたのは89年だから、86年のオリジナル版とも実際のハレー彗星ともだいぶ間が空いているし、その頃はもうディスクシステムも末期でろくにソフトは出てない。なので当時の自分の周囲にこのソフトを買った奴はいなかったし、店頭でパッケージを見たこともあったかどうか。つまり当時もゲームが動いたところを見たことはなかった。

その頃、ページの隅から隅まで熟読していたファミコン雑誌の、たぶん新作ソフトを1/4ページくらいで紹介する小さな記事で見ただけだと思う。だがそこに掲載されていた数枚の写真がどうにも当時の俺の心を捉えて離さなかったようだ。ディスク最末期に出たソフトには、当時のファミコン爛熟期のカセットにあった進化の袋小路のような鈍重さとは違う、いい意味でも悪い意味でも薄っぺらい軽さ、みたいなのを当時の俺は勝手に感じていて、雑誌で見た数枚の写真から『ハレーウォーズ』こそその最たるものだと思っていたふしがある。


www.youtube.com

 

ディスクシステムといえば当時俺は持ってなかったのだが(友達が持ってた)、DOG(ディスク・オリジナル・グループ)のゲームはどれも「憧れのゲーム」度が高かった気がする。『水晶の龍』『クレオパトラの魔宝』『ディープダンジョン』……。小学生時分にはわからなかったけど、「PCゲームプロパーのソフトハウスたちが作ったファミコンゲーム」という一種独特の雰囲気、しかもそれがカセットじゃなくてディスクで、というのが、ほぼファミコンしか知らない子どもだった俺に「ゲーム・エキゾチシズム」とでもいうようなものを感じさせたのだと思う。

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画像引用 https://www.mobygames.com/game/nes/cleopatra-no-mah/cover-art/gameCoverId,300023/

 

(たぶん『クレオパトラの魔宝』パッケージアートに引きずられる形で)ゲーム・エキゾチシズム、と思いつきで書いて我ながらピンと来たが、「憧れのゲーム」として記憶に刻まれているものはどれも何らかのエキゾチシズムを当時の俺が感じたものなのだろう。つまり、自分が持っていないハード/周辺機器で動くもの、PCゲームやアーケードなどだ。

殊に、当時のパソコンのゲームに小学生の俺が抱いていた「絶対に手に入らないもの」感、あれはすごかった。今自分が遊んでいる家庭用ゲーム機の延長線上に存在するもの「ではない」という感覚が強烈にあり、それはなんというか「ゲーム」という同じカテゴリではあるものの全然別の次元に存在するものという感があった。

遠い思い出をさらに細かく腑分けすれば、MSXのゲームはいわゆるパソコンのゲームとはまた別のカテゴリでの憧れがあったと思う。パソコンのゲームよりはもう少し身近な感覚。それはたぶん、「ファミリーコンピュータマガジン」や「ファミコン通信」に、「MSX・FAN」や「MSXマガジン」の広告が載っていたからというのがあるだろう。そしてMSXの場合はゲームソフトというよりもハード自体……いや端的に言えばPanasonicのFS-A1シリーズに強烈な憧れがある。アシュギーネ。これもファミコン雑誌に載っていた広告のせいだ。結局のところ子供の頃の俺はゲーム雑誌の記事と広告にコロコロッといいように惑わされていたのだ。

 

ゲーム好きなら誰しも、幼い頃に手の届かなかった「憧れのゲーム」と、そこから生じるゲーム・エキゾチシズムを持っているものだと思う(たぶん)。上記のように、俺にとってもっとも強いエキゾチシズム――つまり、小学生の自分が触れられる環境から最も遠いもの――を感じるのは当時のパソコンのゲームだ、ということになる。こちらの方面には未だ手を付けていない。だがそろそろいい頃合いの気がする。今年こそはやってみようと思う。とりあえずはプロジェクトEGGで配信している『夢幻の心臓Ⅱ』だ。これは確か、ケイブンシャ大百科シリーズのパソコンゲームの本*2で写真を見て、タイトルロゴのデザインがものすごく印象に残っているのだった。小二か小三くらいの頃のことだろうか……。これを今年はどこかで時間を見つけて絶対にやろう。

PC Game Pass

Xbox Game Pass」という名称で統一されていたサービスが、PC向けのものは「PC Game Pass」という名前にリブランディングされた(昨年12月から)*1。やっぱ「Xbox」って付いてしまうとコンソール専用のサブスクサービスのイメージが強いので、そこを払拭したいということなんだろうか。

サービスそのものは変わらず、月々1,100円の「~Ultimate」に入ってしまえばコンソールもPCもモバイル(クラウド)もプレイできるかなりお得なサービスだ。PCもしくはコンソールだけでいいというなら850円。ついでに言えば、PC Game Passは最初の一ヶ月はお試し価格で100円だ。これ、一時的なキャンペーンかと思ったら恒常でこうなったのかな。

ブランディングしたとは言うものの、PC Game Passサービスに使うWindowsのアプリは特に名称変わらず「Xbox」なのが若干ややこしい。それに、インターフェースの各所で未だにローカライズがおかしいところがちょいちょいある。まあ文脈で理解はできる。できるんだが、「解像度を高めるゲーム」だけはあいかわらずよくわからない。4K対応とか? 世界への認識の解像度を高める……みたいな概念的なことではないだろうし。

 

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ここはいい加減どうかしたほうがいいと思っていたら、最新のアップデートではなんか「???????????」と文字化けしているようだった。なんなんだよ!

*1:PC向けサービスは元々「Xbox Game Pass for PC」と「for PC」付きが正式名称ではあったんだが。

2021年に面白かったゲーム系Podcast続き

先日の更新でゲーム系Podcastについて触れたが、その続き。

まあそこそこいろいろ聴いているが、なんだろう、ここ二、三ヶ月くらいはとにかくなんでもいいから他人のゲーム語りについて四六時中聴いていたいというモードに入ってしまっているので、そこで語られている知識の深さとか洞察の鋭さ、ゲーム史的視野の広さ、批評と倫理、みたいなものはわりとどうでも良くなってきた。

前はそういう基準で聴くコンテンツを選ぶところが無きにしも非ずだったのだが、先日のエントリも書いたんだけどそういう「プロ」っぽいものを非営利個人がやってるPodcastに求めるのは本末転倒だなーというのと(企業とかプロのジャーナリスト・評論家がやってるものはまた別の判断ですよ)、もうちょっと生活に根ざした生っぽい声を聴きたいなというというのがあって、そんなわけだからゲームについて話していればもうそれでいいや、という感覚になりつつある。

あとねー、あのー、ある程度年季の入ったゲーオタとかマニアの人が、非ゲームメディアでちょっと薄いというか軽い感じのゲーム関連記事を出してきたときにしがちな態度、SNS仕草、アティテュード、あの感じ、あれがどうにも(当世言葉で言えば)toxicに感じられて、最近はどうにもキツいなと、距離取りたいなと思うことがままありましてね、まあそういう時代 -JIDAI- の空気も俺の中にあるわけです。まあどうでもいい話かもしれんが。で、そういうtoxicな仕草のアレってテキストだとわりと濃く出るところがある気がするので、その反動として比較的そういうのが薄い個人のPodcastを聴くというところもあるのかなーと、なんか今これを書いているうちに思い至りましたね。書いていくことでさらに自分自身の内面への解像度が高まるな。タッカンマリ。あ、今また内面に去来することをそのまま文字として出力する自動書記的なやつになってますが。タッカンマリは食べたことない。参鶏湯は好きだが。

で、なんだ。まあ個人でやってるゲーム系Podcastってわりと、「ゲームについてすごく詳しいとかマニアってわけじゃないけど、ゲーム好きだしゲームについて語るのが好きなんですよ」という感じの「断り書き」的なものを入れてることが(俺の観測範囲では)多くて、それってつまりうるさ型のマニアがいろいろ突っ込んでくることへのある種の警戒・事前の言い訳的な側面もあるのかもしれないのだが、それとは別に「ゲーム」*1がそもそも持つ、語りやすさ・話題にしやすさ・会話にしやすさ性、みたいなところはあると思うんだよね。それを語るためにはある一定の〈教養〉を持っていなければいけないというような社会的な暗黙の了解が比較的薄いことこそがゲームの良さであると思う。文学や美術や音楽や映画などについて「語る」ときに必要(とされる)〈教養〉の多さ・煩雑さに比べて、そういうものから未だある程度自由であることがゲームの美点であるというのは言えるだろう。つまるところゲームは固定された/言説や評価が歴史的に堆積されていく「作品」ではなく、個々人がそのたびごとに聖なる一回性をもって体験・経験する「遊戯」であるのだから、それについて語ることは〈教養〉のあるなしに関わらず個々人の体験・経験を語ることに他ならないのだから、結果として「語る」ことへのハードルが低い、みたいな感じで捉えることもできちゃったりなーんかしちゃったりしてからに、ツンツン(広川太一郎)*2

回りくどい話をしている。回りくどいというか、別に何か本論があるわけでもないぐるぐる廻ることを自己目的化したようなことを書いている。そういうのが書きたいので。それでここまでの話とはあまり繋がらないが、去年、2021年に聴いて面白かったゲーム系Podcastのエピソードを他にも紹介したい……と思ったんだけど、上記のようなことからぼんやりふわっとしたやつを好んで聴いているところがあるので、あるエピソードだけを抽出して「これ!」とお勧めしづらいところはあるんだよね。そんな中でもこれはこのエピソード単体で聴いても面白いしそこで語られているゲームをすぐにプレイしたくなる、というようなやつを紹介したい。って言っても2つだけだが。

 

ひとつめは「ゲームなんとか」の「ホネストさんとTheWitnessをなんとか(ネタバレあり)」の回。2021年8月23日更新。

gamenantoka.com

 

youtu.be

約2時間あって前半は雑談だが、『The Witness』にハマってクリアした三人がこのゲームについて語る回だ。特に、てっけん氏がnoteに書いたこのゲームの紹介記事に触発されて、というよりもある種の呪いをかけられてプレイを続けるこへい氏のオブセッション、そこからの解放?と世界の見え方の変化などなど、聴きどころが多い。俺はこのゲーム、20分くらいやって「パズル……めんどう……」と思ってすぐに放り投げてしまったのだが、このPodcastを聴いてもう一度最初から始めた。60分くらいプレイしたところでコントローラーを握ったまま眠りに落ちてしまったが……。

 

もうひとつは「狭くて浅い奴ら」の『FINAL FANTASY VII REMAKE』について語った回2020年7月16日更新。2021年のPodcastじゃないじゃん! という指摘にはそのとおりと言うしかないが、聴いたのは2021年なんだからいいだろ。なんと3回に分割された大ボリュームの回だ。

semaasa.net

semaasa.net

semaasa.net

どの回もFF7リメイク(およびその周辺のこと)についての評として丁寧なのだが、特に3本目(#402-C)での、キャラクター造形と今回のリメイクでのオリジナル版との描写の違いについて深掘りして語るところはとても面白かった。FF7リメイク、積んでしまっているのでそろそろプレイしないとなー。

 

あとこの個人のゲーム系Podcast紹介という文脈とはちょっと外れるが(プロのゲームライター複数人のトークライブでYouTubeライブ配信なので)、「令和ビデオゲーム・グラウンドゼロ」はけっこう興味深く拝聴している。毎回3時間くらいあるので聴くのもなかなか大変だが……。去年聴いた中では、「2000年代問題・あの頃ビデオゲーム10年間とは、なんだったのか?」の回でのGTA3の主人公像の「何者でもない男」から感じられるある種の不気味さ・不穏さを今改めて振り返ってみると面白い、みたいな話は面白かった。

www.youtube.com

*1:ビデオゲームに限らず、ボードゲームその他も含めた「ゲーム」全般

*2:一方でこのことが、ビデオゲームにはバイヤーズガイド的レビューではない「批評」「評論」があまり求められないという要因にもなってしまっているとは思う。