ゲームへたおじさんドットコム

1977年生まれの文系社会人。どこのクラスにも10人はいたような男のゲーム日記とメモと寄る辺のなさ。

「憧れのゲーム」概念とゲーム・エキゾチシズムについて

一昨年から……つまりコロナ禍になってから、家で過ごす時間が長くなり、まあいろいろなことをそれまで以上に無駄に考えるようになったわけだ。それで、ゲームについてもいろいろ考えているわけだが、こういう情勢下だからか、あるいは四十路の折り返しに近付いているという年齢のせいなのか、小学生から中学生にかけての頃の自分とゲームの関わりについて思いを巡らすことが多い。年をとるにつれ、子供のときのことを思うようになっていくわけだ。

そういったぼんやりした思考の連鎖・連想の流れで発見した自分の中での新概念として「憧れのゲーム」というものがある。別にそんな深い含みのある言葉ではなくそのままストレートに、子供の頃に憧れていたゲームのことだ。新概念っていうほどじゃねえな。

ゲームに初めて触れてから中学生くらいまでの頃、つまり俺の場合だと80年代半ばから90年代初頭にかけてということになるが、その頃に雑誌やテレビCMなどで見てプレイしたかったけれど叶わず、結局今に至るまでそのまま未プレイになっているゲームたち。それが概念としての「憧れのゲーム」だ。

今は実機に拘らなければ昔のゲームをプレイする環境は豊富なので、そんな「憧れのゲーム」をときどき買い求めてはプレイし、感慨に耽っている。このなんとも言えない感慨を無理に言葉にするなら――これはもう、今プレイして面白いとかゲーム史的に重要であるとかそういったこととはまったく無関係な、世間的な価値基準や他者の視線から完全に自由な、つまり極私的なリビドーの解消であり〈過去の自分〉を改めて分析する営為と言えるだろう(言えるだろう、と言われても困るだろうが)。当時叶わなかったリビドーを今叶える、しかし〈今の自分〉にはすでにそのリビドーはなく、〈過去の自分〉がなぜこのゲームにリビドーを抱いていたのかを俯瞰して見ている……というような感覚だ。

 

例えば、セガ・マークⅢ版『SDI』。これは確かTV CMで画面を見て憧れたのだった(アーケード版の存在は当時知らなかった)。小学四年生の頃だろうか。たぶん日曜の朝*1に放映していた『赤い光弾ジリオン』の提供CMとして流れていたのだろう。『アーノルド坊やは人気者』か『ファミリー・タイズ』を朝8時から見て、8時半からはジリオン、というルーチンだったはずだ……これをレトロフリークでプレイしたのだけど、なんか感無量だったね。

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スクウェアの『ハイウェイスター』(FC)。これは雑誌の記事と広告で見て憧れたもので、なので広告と同じビジュアルが大きくあしらわれた箱付きのものを手に入れたのだった。むしろ、ゲームそのものよりもこのビジュアル自体に惹かれたのだと思う。長じてからはクルマにはとんと興味が湧かないのに、なんでかこれには惹かれたんだな……。これもレトロフリークでプレイした。動いているところは見たことがなかったんだけど、路面の起伏表現が素晴らしく(さすがはナーシャ・ジベリ)、たいへん満足したのだった。

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『ハイウェイスター』は数少ないファミコン3Dシステム対応作品なわけだが、やはりそれらはどれも「憧れのゲーム」で、『アタックアニマル学園』『JJ』『ファルシオン』あたりなどは、いずれ機会を見つけてやってみたい(ディスクシステムはちょっと難しいと思うが)。『アタックアニマル学園』は真鍋博みたいなパッケージアートも印象深いので箱付きで。

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画像引用 https://www.mobygames.com/game/nes/attack-animal-gakuen/cover-art/gameCoverId,298722/

 

アーケードアーカイブスで配信された『ハレーズコメット』も即購入した。かつてのTRYアミューズメントタワーのレトロゲームフロアやHeyの2階の隅で常に稼働している(そして常に誰かが黙々とプレイしている)ゲームという個人的な印象がある。アーケード版は一回もプレイしたことはなかったが、これもある種の「憧れのゲーム」だったのだ。

正確に言うと、憧れだったのはアーケード版ではなくディスクシステム移植版の『ハレーウォーズ』だ。移植されたのは89年だから、86年のオリジナル版とも実際のハレー彗星ともだいぶ間が空いているし、その頃はもうディスクシステムも末期でろくにソフトは出てない。なので当時の自分の周囲にこのソフトを買った奴はいなかったし、店頭でパッケージを見たこともあったかどうか。つまり当時もゲームが動いたところを見たことはなかった。

その頃、ページの隅から隅まで熟読していたファミコン雑誌の、たぶん新作ソフトを1/4ページくらいで紹介する小さな記事で見ただけだと思う。だがそこに掲載されていた数枚の写真がどうにも当時の俺の心を捉えて離さなかったようだ。ディスク最末期に出たソフトには、当時のファミコン爛熟期のカセットにあった進化の袋小路のような鈍重さとは違う、いい意味でも悪い意味でも薄っぺらい軽さ、みたいなのを当時の俺は勝手に感じていて、雑誌で見た数枚の写真から『ハレーウォーズ』こそその最たるものだと思っていたふしがある。


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ディスクシステムといえば当時俺は持ってなかったのだが(友達が持ってた)、DOG(ディスク・オリジナル・グループ)のゲームはどれも「憧れのゲーム」度が高かった気がする。『水晶の龍』『クレオパトラの魔宝』『ディープダンジョン』……。小学生時分にはわからなかったけど、「PCゲームプロパーのソフトハウスたちが作ったファミコンゲーム」という一種独特の雰囲気、しかもそれがカセットじゃなくてディスクで、というのが、ほぼファミコンしか知らない子どもだった俺に「ゲーム・エキゾチシズム」とでもいうようなものを感じさせたのだと思う。

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画像引用 https://www.mobygames.com/game/nes/cleopatra-no-mah/cover-art/gameCoverId,300023/

 

(たぶん『クレオパトラの魔宝』パッケージアートに引きずられる形で)ゲーム・エキゾチシズム、と思いつきで書いて我ながらピンと来たが、「憧れのゲーム」として記憶に刻まれているものはどれも何らかのエキゾチシズムを当時の俺が感じたものなのだろう。つまり、自分が持っていないハード/周辺機器で動くもの、PCゲームやアーケードなどだ。

殊に、当時のパソコンのゲームに小学生の俺が抱いていた「絶対に手に入らないもの」感、あれはすごかった。今自分が遊んでいる家庭用ゲーム機の延長線上に存在するもの「ではない」という感覚が強烈にあり、それはなんというか「ゲーム」という同じカテゴリではあるものの全然別の次元に存在するものという感があった。

遠い思い出をさらに細かく腑分けすれば、MSXのゲームはいわゆるパソコンのゲームとはまた別のカテゴリでの憧れがあったと思う。パソコンのゲームよりはもう少し身近な感覚。それはたぶん、「ファミリーコンピュータマガジン」や「ファミコン通信」に、「MSX・FAN」や「MSXマガジン」の広告が載っていたからというのがあるだろう。そしてMSXの場合はゲームソフトというよりもハード自体……いや端的に言えばPanasonicのFS-A1シリーズに強烈な憧れがある。アシュギーネ。これもファミコン雑誌に載っていた広告のせいだ。結局のところ子供の頃の俺はゲーム雑誌の記事と広告にコロコロッといいように惑わされていたのだ。

 

ゲーム好きなら誰しも、幼い頃に手の届かなかった「憧れのゲーム」と、そこから生じるゲーム・エキゾチシズムを持っているものだと思う(たぶん)。上記のように、俺にとってもっとも強いエキゾチシズム――つまり、小学生の自分が触れられる環境から最も遠いもの――を感じるのは当時のパソコンのゲームだ、ということになる。こちらの方面には未だ手を付けていない。だがそろそろいい頃合いの気がする。今年こそはやってみようと思う。とりあえずはプロジェクトEGGで配信している『夢幻の心臓Ⅱ』だ。これは確か、ケイブンシャ大百科シリーズのパソコンゲームの本*2で写真を見て、タイトルロゴのデザインがものすごく印象に残っているのだった。小二か小三くらいの頃のことだろうか……。これを今年はどこかで時間を見つけて絶対にやろう。