ゲームへたおじさんドットコム

1977年生まれの文系社会人。どこのクラスにも10人はいたような男のゲーム日記とメモと寄る辺のなさ。

ゲーム禅

後輩と話していて「ゲーム禅」という概念が誕生したが、どういうものなのか言葉で説明するのは難しいというか言葉で説明すべきではないのかもしれない(不立文字)。

ひとつ言えるのはゲーム禅はゲーム自体が「この作品は禅です」とプレゼンテーションしてくるものではなく、プレイヤーがゲームの中に見いだすもの、あるいはある局面におけるプレイヤーのプレイが自然と禅になっているもの、という感じだ。

後者の場合はゲームそれ自体は自らが禅であると声高に言っているわけではないのだが、その実、プレイヤーが禅になることをメカニクスに組み込んでいるとも言えるかもしれない。

 

……と、ここまで書いてきて思ったが、「禅」だとなんか本当に仏教の禅だと捉えられてしまうかもしれないので、もっとふんわり「Zen」と表記したほうがいいかもしれん。

これは『Wii Music』を我々はどう捉えるべきかという話の流れで出来た概念なわけだが、『Wii Music』についてはそのうちちゃんと、もう一度向き合わなければいけないと感じている。あれはWii時代の任天堂ソフト群の中でも群を抜いてヤバいタイトルだとずっと思っている。コンセプトをマス向けに噛み砕くことをせずほぼ純粋にそのままの形で出したもの、というか……いや、違うかな、未だそれをうまく言葉にする術を俺はまだ知らない。だから考え続けていくしかないのだ……。

 

まあ『Wii Music』はともかくとして、DSのTouch Generationの一連のタイトルを経由し、Wiiの空前の大ヒットの中で続けられた「非ゲーム」的なアプローチ、その後半あたりのタイトルについては今改めて見ておいたほうがいいと考えている。『安藤ケンサク』とか『キキトリック』とか。そういうこともやっていきたいね。このコロナ禍の時代にね。そういうのをね。まあ追々。

 

Wii Music

安藤ケンサク - Wii

キキトリック - Wii