ゲームへたおじさんドットコム

いい年した男のゲーム日記とメモと寄る辺のなさ。ゲームへたおじさん、またはMSRkbと名乗っています。

あつ森、道を作る

6月末くらいのことだが、Amazonプライムデーで安くなっていたので『あつまれ どうぶつの森』を買った。DL版。昨年、新型コロナ禍が全世界的に広がり STAY HOME が叫ばれ始めた頃にリリースされ、そのタイミングもあってかシリーズ最大のヒットとなった、まさに2020年の世相を反映する「時代の一本」である。

これはとりあえず俺も見ておかねばなるまいと*1思っていたものの、なんだか「まあそのうちでもいいか」という気分もまたあって――これもコロナ禍の世相に漂う倦怠感なのかもしれないが――今まで手を付けずにいた。すでに本作に対する世間一般の興味は薄くなっているであろうこの時期まで引き延ばして、満を持してのプレイ開始だ。四十にもなると流行り物にはそれくらいの距離感を持って接したくなる。そういう意味のない捻くれ方が確実に俺の中にはある。

流行り物云々と言ったもののどうぶつの森シリーズは昔から好きで、アッパーバージョン以外はだいたいプレイしている。特にニンテンドウ64の一作目はとても思い出深い。雑文Blogのほうに昔書いた記事を貼ろう。

 Wi-Fiに対応したDS版が来週にリリースされようとしている今、こんなことを書くのもどうかと思うが、『どうぶつの森』はオンラインゲームではないというのが素晴らしいゲームだったのではないかな。いや、これは断言してしまってもいいだろう。オンラインゲームじゃなかったからよかったのだあれは。

 こうした、自分以外のプレイヤーの存在・影響によってゲーム内の世界が変化していくタイプのゲームを、我々は主にMMORPGなどのオンラインゲームで楽しんできた。(中略)
 『どうぶつの森』でも、それとほぼ同じようなコミュニケーションを他のプレイヤーと行うことができる(殺し合いはできないけど)。決定的に違うのは『どうぶつの森』はオンラインゲームではないということで、プレイヤー同士のコミュニケーションは非リアルタイムであり、間接的に行われるというところだ。
(中略)
 隣人はいる。確かにいる。だが、ゲーム内では出会うことがない。考えてみれば不条理な状況だ。多人数で遊ぶことを推奨されているにも関わらず、非マルチプレイで非オンラインで非リアルタイム。複数のプレイヤーキャラクターが同一のゲーム空間に同時には存在できないがゆえ逆に、たった一人でプレイしたとき、取るに足らない小さなことに他者の存在を強く感じてしまうのではないだろうか。
 ニンテンドウ64版『どうぶつの森』が発売された2001年は、(前にも似たようなことを書いたが)「オンラインゲーム」に対する期待感が異様に高まっていた。特に家庭用ゲーム機の世界では『ファンタシースター・オンライン』=MORPGの次にくる「何か」=MMORPGへの具体性を欠いた夢・幻想・妄想が、ユーザー・メーカー・マスコミの三者をメロメロにしていたように思う。
 そんな状況の中で、プレイヤー同士のコミュニケーションをテーマにしているのに「オンラインゲーム」に拘らず、控えめで慎ましやかな非リアルタイム・間接的コミュニケーションを敢えて選択した『どうぶつの森』は、だからこそ意義があったし、だからこそオンラインゲームとはまた違う、自分以外のプレイヤーの「他者性」を見せることができたのではないかな、と僕は思う。

これに関しては今でも考えは変わらない。DS版『おいでよ どうぶつの森』以降、このシリーズにはさまざまなオンライン要素が付加され、それはそれで楽しいものだとは思っている。ニンテンドウ64版でも開発当初は「オンラインのリアルタイムなコミュニケーション」を目指していたのかもしれない。しかしそれが叶わずあのような非同期型コミュニケーション・間接的マルチプレイ仕様になったことで思わぬ詩情が生まれた。イベント演出ではなく、ゲームの仕様そのものによって詩情が喚起される、そのことに特筆すべき美しさがあったと考えている。

まあそんなわけなので、後のシリーズもやってはいるし楽しんではいるんだけど、ある程度やったところで急に虚無感に囚われてやめてしまうこともあった。3DS版『とびだせ どうぶつの森』のときだ。

仕事から帰宅した夜中、南の島で金策の為に虫取り。南の島へ渡るには1000円払わなければいけないが、ここで珍しい甲虫などを捕まえて自分の村で売ればけっこうな金になるのだ。
そんなわけで虫を捕ってアイテム欄が一杯になるたびに島のカッパのところに戻って持ち帰り用のボックスに入れ、また外に出て虫を捕り……ということを繰り返しているうち、なんだか茫漠たる虚無感に襲われ、直後、垂直立ち上げ式に怒りが爆発した。俺は! 俺は目先の金の為に! こんなチマチマちまちました! 「作業」をしたいわけじゃないんだ! 視界が真っ赤に染まり、思わず「クソッ! クソッ! クズ! お前はクズなんだクソッ!」と口に出して3DSを罵る。横で一緒にプレイしていた妻が(は?)みたいな顔で俺を見るので、高らかに宣言する。「俺は燃やしてやるよ!」。この島を燃やしてやるのだ。アイテムにマッチはないのか(もちろんない)。じゃあ斧だクソッ! 島中の木を切り倒し、花の上を全力疾走して踏みつぶし、スコップで地面を穴ぼこだらけにしてやった。妻は「やめてよー」と言うが俺の怒りは収まらない。記念撮影だ。そのまま帰ったがカッパの奴らは文句ひとつ言わなかったな。
村に戻っても俺の中の重油のような怒りは晴れない。村の木を二三本切り倒したら、斧が壊れた(金の斧とか知るかよ!)。さらに怒りが募る。ならば長期戦だ。時間をかけて村を不毛の地にする。住民も一匹ずつ追い出す。そう、俺を新しい村長だと勘違いしたお前たちが悪いのだ。我この地に平和を与えんために来たと思うなかれ。我汝らに告ぐ。然らず、むしろ争いなり。今からのち一家に五人あらば、三人は二人に、二人は三人に分かれ争わん。父は子に、子は父に、母は娘に、娘は母に。俺の名は災い。俺の身中の百万の蝗を今、この森に解き放とう……。

病気か。疲れていたのだろう。

だがそれから8年。俺は人間として成長した。円熟味を増してきたと言えよう。そんな苦み走った男が『あつまれ どうぶつの森』を始めるのだ。何も起こらぬわけはなく……

 

 

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わーい! たーのしーい!

ちなみにプレイヤーキャラは女の子の姿にしているが、俺は基本的にキャラクタークリエイトがあるゲームではすべて女の見た目を選んでいる。なぜなら女が好きだからだ。今回のあつ森では、クローゼットや服屋でコーディネートを選ぶときのポーズがとてもかわいいので素晴らしい。詩情がある(ない)。

とりあえずとたけけを島に招いて「エンディング」も見て、今は島内の各施設と住民の家を繋ぐ道を敷設している。毎日少しずつ。

 

 

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だいたい夜、寝る前に30分とか1時間だけやって、道を敷設しているうちに眠くなってコントローラーを持ったままうとうとして、それでゲームをやめてベッドに行く。

メインシナリオ進行のためのお使い的フローの煩雑さ(それが「島民代表」のプレイヤーに偏っているところ)、ゲーム中で何度も触れる各種メニューの階層設計に代表されるようなUI/UXの洗練されてなさ等々、正直なところプレイ開始から20時間くらいは細かな不満が募るゲームだった。これはたぶん長くは続けないだろうなという予感さえあった。

だが、島の環境をある程度自由に弄ることができるようになってからは俄然面白味というか「味わい」が増してきて、ちまちまと毎日どこかに手を入れては一人満足に浸る、ということを続けている。プレイ開始してから3ヶ月が過ぎたが、これはまだしばらくやるだろうなという気分に変わった。たぶん今年いっぱいは続けるんじゃないかなと思う。

 

*1:ある種のゲーオタ特有のよくわからない義務感で