ゲームへたおじさんドットコム

1977年生まれの文系社会人。どこのクラスにも10人はいたような男のゲーム日記とメモと寄る辺のなさ。

Space Fury

前に書いたエントリで触れたセガ秋葉原3号館6階のレトロゲームフロアだが、最近の入れ替えでいくつか珍しいものが入ったと聞いて、出社日の帰りに寄ってきた。お目当てはこれ。『Space Fury』(Gremlin/SEGA, 1981)。

 

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『スペースウォー!』『コンピュータースペース』直系の慣性移動全方位シューター。とても難しい。そして喋る。TwitterにUpした以下の動画の最後に一つ目の宇宙人が出てくるが、それがけっこう流暢な日本語で喋るのが聞こえるだろうか。

 

 

「誰だ誰だ、次の相手は」と言っているね。他にもゲーム中でいろいろ、わりと長めのセリフを喋るんだけど、これ音声合成だよね? すごい流暢なので驚いた。他のSEに比べて音量が小さいので、耳を澄ませていないと聞き取りづらいんだけど。海外版の動画を見るとガビガビしててそれほど流暢には聞こえないんだが(エミュレータの再現度の関係かもしれないけどね)。

 

 

どうやら日本語で喋る=日本販売バージョンはとても珍しいそうなので、気になる方は見に行ってみるといいかと。

あつ森、道を作る

6月末くらいのことだが、Amazonプライムデーで安くなっていたので『あつまれ どうぶつの森』を買った。DL版。昨年、新型コロナ禍が全世界的に広がり STAY HOME が叫ばれ始めた頃にリリースされ、そのタイミングもあってかシリーズ最大のヒットとなった、まさに2020年の世相を反映する「時代の一本」である。

これはとりあえず俺も見ておかねばなるまいと*1思っていたものの、なんだか「まあそのうちでもいいか」という気分もまたあって――これもコロナ禍の世相に漂う倦怠感なのかもしれないが――今まで手を付けずにいた。すでに本作に対する世間一般の興味は薄くなっているであろうこの時期まで引き延ばして、満を持してのプレイ開始だ。四十にもなると流行り物にはそれくらいの距離感を持って接したくなる。そういう意味のない捻くれ方が確実に俺の中にはある。

流行り物云々と言ったもののどうぶつの森シリーズは昔から好きで、アッパーバージョン以外はだいたいプレイしている。特にニンテンドウ64の一作目はとても思い出深い。雑文Blogのほうに昔書いた記事を貼ろう。

 Wi-Fiに対応したDS版が来週にリリースされようとしている今、こんなことを書くのもどうかと思うが、『どうぶつの森』はオンラインゲームではないというのが素晴らしいゲームだったのではないかな。いや、これは断言してしまってもいいだろう。オンラインゲームじゃなかったからよかったのだあれは。

 こうした、自分以外のプレイヤーの存在・影響によってゲーム内の世界が変化していくタイプのゲームを、我々は主にMMORPGなどのオンラインゲームで楽しんできた。(中略)
 『どうぶつの森』でも、それとほぼ同じようなコミュニケーションを他のプレイヤーと行うことができる(殺し合いはできないけど)。決定的に違うのは『どうぶつの森』はオンラインゲームではないということで、プレイヤー同士のコミュニケーションは非リアルタイムであり、間接的に行われるというところだ。
(中略)
 隣人はいる。確かにいる。だが、ゲーム内では出会うことがない。考えてみれば不条理な状況だ。多人数で遊ぶことを推奨されているにも関わらず、非マルチプレイで非オンラインで非リアルタイム。複数のプレイヤーキャラクターが同一のゲーム空間に同時には存在できないがゆえ逆に、たった一人でプレイしたとき、取るに足らない小さなことに他者の存在を強く感じてしまうのではないだろうか。
 ニンテンドウ64版『どうぶつの森』が発売された2001年は、(前にも似たようなことを書いたが)「オンラインゲーム」に対する期待感が異様に高まっていた。特に家庭用ゲーム機の世界では『ファンタシースター・オンライン』=MORPGの次にくる「何か」=MMORPGへの具体性を欠いた夢・幻想・妄想が、ユーザー・メーカー・マスコミの三者をメロメロにしていたように思う。
 そんな状況の中で、プレイヤー同士のコミュニケーションをテーマにしているのに「オンラインゲーム」に拘らず、控えめで慎ましやかな非リアルタイム・間接的コミュニケーションを敢えて選択した『どうぶつの森』は、だからこそ意義があったし、だからこそオンラインゲームとはまた違う、自分以外のプレイヤーの「他者性」を見せることができたのではないかな、と僕は思う。

これに関しては今でも考えは変わらない。DS版『おいでよ どうぶつの森』以降、このシリーズにはさまざまなオンライン要素が付加され、それはそれで楽しいものだとは思っている。ニンテンドウ64版でも開発当初は「オンラインのリアルタイムなコミュニケーション」を目指していたのかもしれない。しかしそれが叶わずあのような非同期型コミュニケーション・間接的マルチプレイ仕様になったことで思わぬ詩情が生まれた。イベント演出ではなく、ゲームの仕様そのものによって詩情が喚起される、そのことに特筆すべき美しさがあったと考えている。

まあそんなわけなので、後のシリーズもやってはいるし楽しんではいるんだけど、ある程度やったところで急に虚無感に囚われてやめてしまうこともあった。3DS版『とびだせ どうぶつの森』のときだ。

仕事から帰宅した夜中、南の島で金策の為に虫取り。南の島へ渡るには1000円払わなければいけないが、ここで珍しい甲虫などを捕まえて自分の村で売ればけっこうな金になるのだ。
そんなわけで虫を捕ってアイテム欄が一杯になるたびに島のカッパのところに戻って持ち帰り用のボックスに入れ、また外に出て虫を捕り……ということを繰り返しているうち、なんだか茫漠たる虚無感に襲われ、直後、垂直立ち上げ式に怒りが爆発した。俺は! 俺は目先の金の為に! こんなチマチマちまちました! 「作業」をしたいわけじゃないんだ! 視界が真っ赤に染まり、思わず「クソッ! クソッ! クズ! お前はクズなんだクソッ!」と口に出して3DSを罵る。横で一緒にプレイしていた妻が(は?)みたいな顔で俺を見るので、高らかに宣言する。「俺は燃やしてやるよ!」。この島を燃やしてやるのだ。アイテムにマッチはないのか(もちろんない)。じゃあ斧だクソッ! 島中の木を切り倒し、花の上を全力疾走して踏みつぶし、スコップで地面を穴ぼこだらけにしてやった。妻は「やめてよー」と言うが俺の怒りは収まらない。記念撮影だ。そのまま帰ったがカッパの奴らは文句ひとつ言わなかったな。
村に戻っても俺の中の重油のような怒りは晴れない。村の木を二三本切り倒したら、斧が壊れた(金の斧とか知るかよ!)。さらに怒りが募る。ならば長期戦だ。時間をかけて村を不毛の地にする。住民も一匹ずつ追い出す。そう、俺を新しい村長だと勘違いしたお前たちが悪いのだ。我この地に平和を与えんために来たと思うなかれ。我汝らに告ぐ。然らず、むしろ争いなり。今からのち一家に五人あらば、三人は二人に、二人は三人に分かれ争わん。父は子に、子は父に、母は娘に、娘は母に。俺の名は災い。俺の身中の百万の蝗を今、この森に解き放とう……。

病気か。疲れていたのだろう。

だがそれから8年。俺は人間として成長した。円熟味を増してきたと言えよう。そんな苦み走った男が『あつまれ どうぶつの森』を始めるのだ。何も起こらぬわけはなく……

 

 

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わーい! たーのしーい!

ちなみにプレイヤーキャラは女の子の姿にしているが、俺は基本的にキャラクタークリエイトがあるゲームではすべて女の見た目を選んでいる。なぜなら女が好きだからだ。今回のあつ森では、クローゼットや服屋でコーディネートを選ぶときのポーズがとてもかわいいので素晴らしい。詩情がある(ない)。

とりあえずとたけけを島に招いて「エンディング」も見て、今は島内の各施設と住民の家を繋ぐ道を敷設している。毎日少しずつ。

 

 

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だいたい夜、寝る前に30分とか1時間だけやって、道を敷設しているうちに眠くなってコントローラーを持ったままうとうとして、それでゲームをやめてベッドに行く。

メインシナリオ進行のためのお使い的フローの煩雑さ(それが「島民代表」のプレイヤーに偏っているところ)、ゲーム中で何度も触れる各種メニューの階層設計に代表されるようなUI/UXの洗練されてなさ等々、正直なところプレイ開始から20時間くらいは細かな不満が募るゲームだった。これはたぶん長くは続けないだろうなという予感さえあった。

だが、島の環境をある程度自由に弄ることができるようになってからは俄然面白味というか「味わい」が増してきて、ちまちまと毎日どこかに手を入れては一人満足に浸る、ということを続けている。プレイ開始してから3ヶ月が過ぎたが、これはまだしばらくやるだろうなという気分に変わった。たぶん今年いっぱいは続けるんじゃないかなと思う。

 

*1:ある種のゲーオタ特有のよくわからない義務感で

青春遺物

Twitterで流れてきたこの写真、

おもしろネタとしてバズってたけど、俺はなんかすごくしんみりしちゃったな。思わず画像を保存してしまった。ここ最近このBlogで昔のことをいろいろ思い出しながら書いてるからかもしれないけど、こういう画像を見ると、時の流れ、青春のきらめき、それが永遠には続かないこと、時間が経てば取るに足らない薄汚れたものになること、しかしだからこそ逆説的にその「一瞬」が光るのだ……みたいなことを思う。不惑を超えるとやはりそういうのはある……あるじゃないですか……「♥H9・6・16♥」と日付が明記されているところが特に。この落書きをしたかおりとなおとは今どうしているのだろうか、そしてその日、俺は何をしていただろうか。1997年6月16日。

わかり、わからない、わかってくる

月姫といえば、SteamのGWセールで安かったので『MELTY BLOOD Actress Again Current Code』を買って5月から7月くらいまでプレイしていたのだった。

MELTY BLOOD Actress Again Current Code [オンラインコード]

なんで今頃メルブラ? という話だが、まあ月姫リメイクも出るわけだしなんかこう自分の中で盛り上げていこうという気分がありつつ、定期的に訪れる「2D格ゲーをいじりたい」という気分の高まりとちょうど時期があったから、というところだ。同人版とかAC版のときには手を出してないので、ほんとなんで今更という感じだが。

だが、前回エントリでも書いたように俺は月姫本編のアルクェイドルートしかやってないので、メルブラのほうでも何もわからんね。何もわからねえー! 誰だお前?って奴ばかり出てきてものすごいイキりオタ台詞を吐いて戦う。そして台詞や技はザ・邪気眼系のオタオタしさMAXなんだけど、それとは逆に2D格ゲーのキャラクターデザインとしては地味で、学生服かユニクロみたいな服かドレスかロングコートを着てる奴らばかり出てくる。今改めて見ると不思議なバランスだなあと思う。台詞の情報量は過剰なんだけどキャラクターデザインの情報量に乏しいんだよね。

しかしキャラクターがぜんぜん知らない奴ばかりなのには驚いた。まあ本編のアルクェイドルートしかやってないんだからそりゃそうだろうということなんだろうが、でもほんとに知らない奴らばかりだ。こんなによくわからんとは思わなかったな。わからないけども、00年代中頃のあの界隈のイキフンを大いに感じることができて、これはこれでなかなか「味わいがある」と言っていい。

 

そんなわけで「味わい」を噛みしめながらやっていってたんだが、月姫というコンテンツの味わいとは別のレイヤーでの「わからなさ」が立ち上がってきて、わからねえー! 何もわからねえんだー! という気分になった。俺は、格ゲーが、わからない。

俺は『ヴァンパイア』くらいの頃から、なんかこれはもう俺には無理だと思って2D格ゲーから離れた。どう無理だったかというと画面内の情報量に俺の認識・処理能力が追いつかなくなったんだよね。キャラクターの動きがこの頃からどんどん派手に、情報量多めになっていって、今押したボタンと今画面上で繰り広げられているキャラクターのアクションが俺の脳内においてイコールで結べなくなってしまい、何をどうすればいいのか、よくわからなくなってしまったのだ。

以後、プレイヤーとしてはあまり積極的に2D格ゲーには触れず後ろに立って表層的にぺろーんと眺めているだけで、時々思い出したように最新作を触れては「うーんやっぱりわからんなー」ということを再確認して終わる、というのを繰り返していた。

今回メルブラに触れて例の如く「わからんなー」と感じていたのだが、とはいえ元は15年以上前の格ゲーだ。その後アップデートが繰り返されたとはいえ、『~Actress Again Current Code』がリリースされたのだって10年以上前。さすがに現代の目から見ればまだ太刀打ちできる程度の「わからなさ」であろうというある種の「舐め」ないし「勝算」があった。……いや太刀打ちしようとしているのがこの俺なので別に15年だろうと10年だろうと2D格ゲーリテラシーは一切成長しておらず、これは錯覚でしかないんだが……。

今はわからない。が、やがてわかる……。我は知らず、ただ一つの事をしる、即ち我さきに盲目たりしが、今見ゆることを得たる是なり(ヨハネ 9:25)。SteamのGWセールで安いんだしということで俺と同じくメルブラ未プレイの友人や後輩へ送りつけ、お互いに少し練習して「わからんなー」というレベルになったあたりでネット対戦する。すると……わずか90分くらいの間にものすごい数の「わかり」が発生するのだ! やるごとに「わかり」が蓄積されていき、止まっていた俺の2D格ゲーリテラシーが高まっていくのが手に取るように「わかる」。高まっていくというか、一般的格ゲーマーが100だとすると俺はやっと5になったくらいだが。しかし、とりあえず今、何が行われているのかがやっと肌感覚でわかるようになった。

が、次の週末にまたネット対戦をしてみると、また「わからない」の谷間に陥ることになる。「わかり」を得ることで「わからない」ことが「わかる」のだ。イエス言ひ給う『われ審判の爲にこの世に來たれり。見えぬ人は見え、見ゆる人は盲目とならん爲なり』(ヨハネ 9:39)。人生の……真実の瞬間……。

 

というように、3人で手探りかつ別に情報を検索して学んでうまくなろうともしないままただただ対戦し、ただただ出鱈目にふんわり楽しい感じで時間が過ぎていくので良かった。月姫本編の主人公であるところの遠野志貴の超必が、発動するとスローモーションになって、なんか珍妙なジャンプ&身体のひねりモーションで相手に飛び込んでいき、当たると「死の線」をナイフで切りつけて大ダメージというものなんだが、誰がやってもだいたいスカるのでそのたびにゲラゲラ笑ってた。珍妙なジャンプと身体のひねりをただ見守るだけの虚無のスロー時間が流れるのが最高だった。

月姫のリメイクに合わせてメルブラもリブートするようだが、こっちもそのうちやるかなー。

 

MELTY BLOOD: TYPE LUMINA - Switch

MELTY BLOOD: TYPE LUMINA - Switch

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月姫リメイクのこと、2003年の『月箱』のこと

そういや、『月姫』のリメイクであるところの『月姫 -A piece of blue glass moon-』がようやっとリリースされたんだったよな。月姫かー。発売日近辺はさすがに俺のTwitterタイムライン界隈でも盛り上がりがあって、その熱にほだされて俺も買ってしまいそうになったのだが今のところ買ってない。まあそのうちプレイすることもあるんだろうけども。

盛り上がっているときにやってみるかと思った理由のひとつに、TYPE-MOONの(パッケージタイトルとしての)前作『魔法使いの夜』がすごかった、というのがある。これはゲームというか完全にデジタルノベル、選択肢もなにもなくて一本道のお話を読んでいくだけの作品なのだが、とにかくスクリプトの組み合わせによる演出が異様にリッチだった。

これは誰が見てもすごいと思えるレベルの凄さで、それまでのノベルゲームでは見たことがない、そしていわゆるアニメ的なセンスの演出というのともまたぜんぜん違う、最も近いものを挙げるならば「飛び出す絵本」のような、それが多段レイヤーごとに細かく動いているような、なんとも豪華なものだった。

これはいいもん見たなー眼福ーという感じがあった。今回もそういう視点での「とりあえずちょっと見てみたい」という感覚はある……と思ったら、『魔法使いの夜』等でスクリプトを担当していたつくりものじ氏は、今回の『月姫 -A piece of blue glass moon-』には関わってないっぽいのか……。ではあれほどのものを望むことはできないのかなあ。まあでも、たぶんそのうちやるだろう。

 

そういや、と思ってHDDで昔のデータをサーベイしてみた。俺がオリジナルの『月姫』、というか『月箱』を買ったのっていつのことだろうと気になったからだ。最近はとにかく昔のこと、殊に00年代前半のことが気になる。ここらへんの働き始めて数年って環境の変化と忙しさで記憶が曖昧だから、折に触れて思い返しておかないとなんだかよくわかんなくなっちゃうんだよね。

その頃にやっていたサイト内の1コーナーで、ゲーム関係の買い物をしたときに写真と短いコメントを残す、というのをやっていた*1。デジカメを買ったばかりで(新宿のヨドバシでちょっと値切って買った型落ちのOLYMPUS CAMEDIA C-1Zoomだったと思う)、自分が撮った写真をその場でネットにアップロードするという行為そのものに面白味を感じていた頃のことだ*2。2003年5月5日。秋葉原ラムタラで2,500円で買ったとメモしてある。ネットでなにやら月姫という「同人ゲーム」が盛り上がっているというのを見て(俺ニュース経由で知ったのだと思う)、ゴールデンウィーク秋葉原に行って、そこで買ったのだろう。当時の写真を貼る。

 

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2003年6月6日にはTYPE-MOONの特集記事が載っている「Colorful PUREGIRL」も買ってる。

 

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当時の俺はこういうオタクカルチャー最前線的なものに疎かったので必死にキャッチアップしようとしてるのが覗えますね(別に今も詳しくはないが)。

当時プレイした感想を思い出そうとしたが、今からの視点で思い出してもたぶんバイアスがかかっていたり自分内の歴史(精神史)修正主義者が悪さをしようとするので、こんなときは過去ログ検索だ。長いことBlog書いてるとこういうときに便利。2003年5月19日のエントリがヒットしたぞ。どれどれ。

 ところでぼちぼち『月姫』を進めているわけですが(そしてけっこう面白いわけなのですが)、初めてメインヒロインと出逢った主人公が、彼女のあとをつけていって惨殺する、っていうのはあまりにも屈折しすぎちゃいないか。こりゃもうそうとうな屈折だ。しかもメインヒロインはけろりと復活するし、主人公のことを責めないし(吸血鬼だという設定はあるにせよ)。

ふむふむ。そうそう、ここのところすごい引っかかって、その引っかかりは個人的には最後まで解消されなかったんだよねー。リメイク版ではどう処理されているのだろう。

こんなに屈折していれば、そりゃあ確かにオタクセクシュアリティ系言説の評論家諸氏(ものすごく乱暴なくくりだが、他にどう言えばいいのかわからない)が何か言いたくなるのも頷ける。

お? お? これはなんかギアが上がってきたぞ……。

 私自身はどうかと言うと、そういう展開を面白がるよりまえに、なんというか、ひとことで言えば呆れた。ものすごい勢いでスルーされる葛藤。それはやはり、ビデオゲーム内で語られる物語として見ても(そして私は、ビデオゲーム内で語られる物語を小説や映画で語られる物語と同列で批評することを慎重に回避すべきだと思っているが)、やっぱりあまりにも、屈折しすぎてはいないか。

むひょっ。これは我ながら「むひょっ」と突発的奇声を上げてしまうようなイキりが覗える。たぶん本当に言いたいことをうまく書けないのでとりあえず借り物のワードで着飾ってみた感が読み取れるね。若い、若いねー。この時点で俺は二十五歳だった。それがひとの一生でいちばん美しい年齢だなどとだれにも言わせまい――(ポール・ニザン)。

まあこんなこと書いてるけど次の年には『Fate/Stay night』を発売日に(確か)買ってるわけですからね。何をか言わんや。さらに言えば、『月姫』は最初のシナリオのTrueエンドを見たところでなんか自分の中で「終わった」気になったらしく後のシナリオは全スルーしている。そんなことってある?

いやなんでそんなことしたのか、そこで終わりだと思った、というわけではさすがにないと思うんだけど、ほんとパキッとそこでプレイをやめちゃってるんだよね。そんで数年後、はてなキーワードでたまたま「月姫」の項目を見てたら知らないキャラクターや設定が大量にあって驚いたという……いや確かにそれまでもネットで『月姫』関係の話題を見るたび、微妙な違和感はあった。俺の知らないイベントとかセリフとか。でもそれはきっとゲーム本編では語られない裏設定とか他の人が作った二次創作での話で、熱心なファンなら当然知っている周辺情報なんだろう、くらいに思い込んでたっぽいんだよな……プレイングが雑すぎるぜ。

そんな俺に月姫の何が語れるんだと言えば何も語れないんだが、まあそういう00年代前半のあれこれの思い出も含めて、リメイク版をやってみるのも味わい深いんじゃなかろうかという結論で茶を濁しておこう。そのうちやるよ! PC版が出たらやる!

*1:このサイトのBlog部分の主なエントリははてなに移行した(今の雑多Blogのほうに)が、Blog以外のコーナーはHDD内にしかない。

*2:その場で、なんて書いたけど、今みたいにスマホ内で1タップでシェアとは違い、デジカメをPCに繋げてデータを吸い出し、画像編集ソフトでサイズ調整して保存し直し、テキストとHTMLを書いて、FTPクライアントを立ち上げて契約しているプロバイダのホームページ用サーバ領域に接続し、.htmlファイルと.jpegファイルをそこにアップロードして……という手順を踏んだわけで、今の基準で言うところの「その場」では全然ない。部屋の中で撮ったものをその部屋の中にいながらにして30分程度の作業でサーバにUPできる、というのが当時は物珍しかったのだ。

Palmの北朝鮮製ゲーム

今でも時々思い出すこと。

昔、だいたい2001年か2002年くらいの時分。働き始めたばかりの俺はスケジュール帳をどうするかを模索していた。会社支給の背広の内ポケットに入るサイズのペラペラしたやつを使っていたものの、あまり使い勝手がいいとは言えない。上司がSONYPalm OS搭載PDACLIEを使っていたのにちょっと憧れて、いっそのことPalmにしてみるのもいいかもしれないと思いはじめた。

折良く、Palm社はこの頃にエントリーモデルの在庫処分的な価格改定をやっており、最もシンプルな機能のm100というモデルが9,800円になり、さらに期間限定セール(確か)として2001年末から2002年頭にかけては4,900円という破格の安さで店頭に並んでいた。俺はたぶん01年の年末くらいにこれを買ったはずだ。

Palm OS独特の「グラフィティ」というペンでの文字入力方法にも慣れ、スケジュールのMac OSとの同期もまあまあ使えるかなと思いはじめた頃、たまたまネットを巡回していてPalm OS用のゲームをDL販売しているサイトを見つけた。

並んでいるのは『ファイア』や『ボール』みたいなゲーム&ウオッチのコピーゲームのようなものばかりなんだが(Palmマシンの少ないボタン数と液晶サイズ、処理能力でも遊べるゲームというと限られてくる)、その中に「北朝鮮製ゲーム」というカテゴリがあったのがすごく気になった。

カテゴリになってたのだからたぶん複数本並んでたはずだ。が、どんなゲームがラインナップされていたのか、見たはずだがまったく覚えていない。あのとき買っておけばよかったなあ、と未だに後悔している。どこがどう「北朝鮮製」だったのか、そしてなぜPalmだったのか。

まだ小泉純一郎が訪朝して北朝鮮が日本人拉致を認める(日朝首脳会談 - 2002年9月)前だったはずだ。俺がPalm m100を買った時期と合わせて考えると、たぶん2002年前半にそのサイトを見つけたのだと思う。ああ、あれはどんなゲームだったのだろう。誰か買ってプレイした人はいないだろうか。

ヒップアタック

大元のトピックがなんなのかは追えなかったのだが、Twitterのタイムラインで格ゲーにおけるヒップアタックについての話が散発的に観測された。最初に目にしたのはルーシーさんのこのTweetだったと思う。

格ゲーのヒップアタックかあ……と記憶の底を攫ってみるものの、格ゲー詳しくないから今ひとつ思いつくものがない。レインボー・ミカくらいか。でもヒップアタックといえば、格ゲーじゃないゲームですごくヒップアタックが気持ちいいゲームがあったよな……だが思い出せない……なんかこう、ジャンプしてストンと垂直に落ちてブロックとかをズガガガと壊せるんだよな……とここまで考えてやっと、それはマリオだということに気づいた。マリオ……かあ。すべてのことに靄がかかっている。

マリオもそうだけど、なんかヒップアタックというと2D横スクロールアクションという感じが俺の中である。が、そこで「2D横スクロールアクション」の例として最初に思い浮かんだのがなぜか『カルノフ』だ。『カルノフ』はヒップアタックができた、という偽の記憶がなぜかあるのに気づいた。アーケード版ではできないけど、ファミコン版ではアレンジが入って、ジャンプ軌道の頂点で十字キー下押すとヒップアタックできるんだよねー(できません)。

カルノフファミコン版BGMのイントロの部分「ジャージャージャージャー」ってとこは妙に印象に残っているのだ。あのなんだろう、中東風というかあるいは東欧っぽい……のかよくわからないけど独特のメロディライン。でもその他のことはぼんやりとしている。『ファイターズヒストリー』シリーズに出てたときはヒップアタックできたのかもしれない。何もわからない。すべてのことに靄がかかっている。