ゲームへたおじさんドットコム

1977年生まれの文系社会人。どこのクラスにも10人はいたような男のゲーム日記とメモと寄る辺のなさ。

スキル、経験値、伸びしろ

ゲームに関する最近の気づき。

『Slay the Spire』をプレイしていてだんだんわかってきたのだが、ローグライク/ローグライト系のゲームで、死んだ後のゲーム内での持ち越し要素が少ないと、俺はもう駄目だ。まるでだめ。レベル的なものやアイテム的なもの、パッシブスキル的なものを些少でも引き継げないとぜんぜん駄目なんだ。何もできなくなる。

そういったときゲーム側が求めているのは、プレイヤーである俺自身に経験値が溜まり、つまり周回ごとにプレイングスキルを磨いていって高みを目指してほしい! ということなのはわかっているんだけど、あのねー、気づいてしまったんだ。俺には周回ごとの経験値なんてほとんどたまらないんだ。たまらないんだよね。何回やっても、へたなままなんだよ……ごり押しのパワープレイができるような持ち越し要素、ゲーム側で用意してくれないかな……まあそんなことしたら本末転倒なのはわかってるんだけどね……でも辛いんだよね、この年になって自分の伸びしろがないことに気づくってのは。

 

日記的なことを書いておけば、10月までは原則在宅勤務だったが、11月になってからは原則として週に何日かの出社を求められるようになった。会社としては今後のためにいろんなタイプの勤務形態をテストしておいてほしいということらしい。

さすがにずっとリモートワークだと、業務としては回せてもなんだかモチベーションが上がらない状態ではあったので(これはどちらかというと、俺個人が4月以降プライベートでの外出をほとんどしない生活を送っていたことにも理由があるだろう。家の周り半径500メートルを出ることが月に1回か2回くらいだった)、たまの出社はとてもいい気分転換になる。あと、なんだかんだ言って会社のほうが仕事をやりやすい環境であることは確かだ。

が、予想されたことではあるが11月に入ってコロナ流行第三波が到来している。久しぶりに公共交通機関に乗っていると、明らかに数ヶ月前よりも「日常」が戻ってきている、つまり危機感は薄れている。これが「ウィズ・コロナ」の日常かとある種の感慨が湧く。しばらくは国内の感染者数・重症者数・死亡者数がぐっと増え続けていき、そのニュースを聞けば反射的に暗い気分にはなるだろうが、ベースとしてはどんどん平常時の気分の割合が増えていくのだろう。一方で経済的な苦境に立たされる人もどんどん増えていくのだが、数は増えていくのに反して「日常」からは巧妙に隠され、切り離され、見えなくなっていくのだと思っている(なぜなら、それがこの20年ほどかけて構築されてきた日常のシステムだからだ)。こう書いている私の勤め先でも、けっこうな規模の希望退職プログラムが始まっている。残れば残ったで「いろんなタイプの勤務形態」が始まるだろう。さてどうするか、どうなるのか。プレイングスキルを磨いて経験値をためていくしかない! ……伸びしろ……伸びしろが……。