ゲームへたおじさんドットコム

1977年生まれの文系社会人。どこのクラスにも10人はいたような男のゲーム日記とメモと寄る辺のなさ。

携帯するゲームとおじさん

四十路に入ってからはやはり自分の働き方について考えることが多い。そしてやっと気づいたこと、自分を偽らずに真正面から己に問い直し、ようやく腹落ちしたことがある。俺は、働くのが、嫌いだ……いや、憎んでいると言ってしまってもいい……俺は労働に向いていない人間なのだ……好きなのは働くことではなく、金、だったのだ……ということである。さらに正直に言うなら、金よりも食べることや睡眠のほうが好きなのだ。なんということだろう。四十何年生きてきて、答えはこんなにも近くにあったなんて……。

 

というわけで自分の内面との対話の末、最近はそんなに残業もせず、できなかったことはすべて先送りにしてとっとと帰るようにしている。だがそれでも、家に帰り着くとなんだか疲れて、据置ゲーム機に電源を入れる気力が湧かないことが多いんだよね。こりゃいかんということで、昼休みや電車の中で遊べるように携帯ゲーム機に回帰すべきだと常に鞄に忍ばせてはいるんだけど、なんかこれも結局電源を入れる気力がもう一つ湧かなかったりする。

で、なにやってるかというと、ここしばらくはスマホ版『風来のシレン』をずっとやってる。SFC版一作目をアレンジ移植したDS版、のさらにスマホ移植だね。配信直後はUIがスマホ用にこなれてなくて誤操作することが多く、ゲームの性格上その点についての批判が多くてレビュー平均点も低かったけど、配信一ヶ月後? くらいから大きな改善をしていて、かなりスマホで遊ぶのに最適化されてきた。スキマ時間にサクッと遊べて良い。現在はメインシナリオをクリアして魔蝕虫の道を攻略するために武器と盾を強化してるとこだけど、ここらへんの細かな繰り返し作業がつづくプレイの局面には、スキマ時間にサッと取り出せるスマホにとても向いている。

「作業」を繰り返してゲーム内の数値を増やしていくことのチマチマした楽しみ、というのが、ある種のゲームには存在するが、そういったゲームに一番向くのはやはりスマホなんだろうなと思う。日常使いするアプリ群の中のひとつとして、あくまで他のアプリと並行に、ちょっと気が向いたらちゃちゃっといじってまた別のアプリに切り替える、「ゲーム」ではなく「アプリ」としてのビデオゲーム、ハレとケで言えばケの「ゲーム」。

 

ソシャゲバブル以降、スマホの運営型ゲームアプリがその手のケのゲームになったかと思ったけど、あれは結局、運営して継続的に利益を出していかねばならない性質上、アプリとして日常に溶け込みつつもゲーム内の表現としては間断なく祝祭(=イベント)を繰り返していかざるを得ず、その落差に疲れを感じて離脱することが俺個人としては多かった。今また、運営型ではない買い切りゲームアプリへの回帰の機運が密かに高まっている気が、俺はする。いや、もちろん今までのやり方では、「買い切り」では、商売として難しい。だがもうすぐ来るだろうゲームのサブスクリプションサービスの時代になったとき、こっちの道はまた違った姿で立ち現れるのではないだろうか。そんなことをぼんやり考えつつ、いかにして労働の量を減らしていくかに思いを巡らせる日々であった。