ゲームへたおじさんドットコム

1977年生まれの文系社会人。どこのクラスにも10人はいたような男のゲーム日記とメモと寄る辺のなさ。

自分内のPodcastブームについてあれこれと2021年最もかっこいいと思ったゲーム系Podcastについて

わーお、年が明けてから何も更新しないまま1月も最終日になってしまったよ。まあしかたない。

オミクロン株が猛威を振るってるのもあってますますお籠もり状態が加速している俺だが、今年はさらにアグレッシブにゲームをやっていきたいという思いを胸に年明けからけっこういい感じで加速してやっている。いい感じだと思う。「いい感じ」とタイプするとき俺の頭の中ではもちろんEAST END×YURIの「いい感じ やな感じ」が流れている。流れるよな。流れるものだよ。

ところで、昨年半ばあたりからさらに意識的にゲーム系Podcastを聴くようになっている。そのことについてこのBlogでも何か書くつもりだったのだがなんかここまで書かずにダラダラしちゃった。まあいいや。しょうがないよね。

思い起こせば2018年あたまくらいにnotonobuharuさんから「今改めて、ネットラジオとかPodcastとかの同世代や狭い範囲に向けたナローキャスト的なコンテンツに良さを見いだしてる」というようなメッセージとともにいくつかのお勧めをもらって、なるほど確かにそういう感じあるよなと思い意識的にそこらへんを掘り始めたというのがある。

そんでもってまあ、2018年くらいの状況だとやっぱりPodcastをやっているのはそれ以前からずーっと細々と続けている老舗のとこが多くて、そういうのも聴きつつ結論としては4月からTBSラジオで始まった「アフター6ジャンクション」を全部聴く(平日3時間×5日)というところに収まったのだが、5月くらいに初めてワイヤレスイヤフォンを買ったことで本当に日常が変わったな。BeatsX。何かしながら聴くのが劇的に楽になったおかげで、日々の雑事を犠牲にせずに音声コンテンツを大量に消費できるようになった。*1

その後、2019年くらいからPodcastの復権、再ブーム到来みたいな話がアメリカのほうで出てきて、マジかよPodcastなんてもう枯れたジャンルのコンテンツだろうが、とか思ってたら日本でも再ブームみたいな感じになってきた。サブスク系音楽配信サービスでエンゲージメントを高める新たなコンテンツとして再発見されたみたいなとこがあるんだろうけど、ほんと19年後半~20年頭くらいのタイミングにさまざまなサービスでPodcastを聴きやすい環境がすごい勢いで整備されていった。コロナ禍による世界的な社会情勢や人々の生活の変化というのもこれを後押しした感がある。従来型のマスメディアよりもリスナーに近いところにあるような感じがするっていうのと、動画コンテンツよりも制作・配信の参入障壁が低い(ように見える、思える)ところがきいたんだろうと思うが。

俺もちょっと、大手メディアでのラジオ放送を大量に摂取することに疲れを感じてきたというもあって、20年くらいからまた各種Podcastをよく聴くようになった。主にゲームや映画などのカルチャー系のやつだ。ただ2021年頭くらいの時点では、2人以上でやってる、しゃべりが安定していてキャラクターが立ってるような番組(つまりプロっぽい作りのやつ)に落ち着いてしまったんで、こういうのではなんか本末転倒かなーと思ってもうちょっと素人くさい……というと言葉は悪いが、生っぽいというか生活感を感じるようなものでいいのがないか、というのを探しているのが21年半ば以降今現在の状況。今は主にゲーム系のものしか聴いていない。俺はビデオゲームそのものと同じかあるいはそれ以上に「ビデオゲームに関する語り」が好きなのだ。あらゆる種類の「ビデオゲームに関する語り」を摂取していきたいという思いはこの数年ますます強さを増している。それはこの世界の、〈俺の〉この世界の豊かさをより深めるためのものなのだ。あらゆる「ビデオゲームに関する語り」を意識的に摂取していくことによって「ビデオゲーム」に関する解像度がどんどん増していく。それをずっとやっていく。やっていきたい。

ええとなんだ。コロナ禍以降、俺はこのBlogを書くとき、なんというか自動筆記的にというか、その瞬間瞬間の自分の中の意識の流れをそのまま出力してあまり推敲せず公開するというのを時々やっているんだが、今回のエントリはそういう感じなんでつまり何が言いたいんだという感じになっているだろうがまあ別にいい。しょうがない。しょうがないよね。俺はそれでいいと思っているんでね。

それでつまり、言っておきたいことは、本当はこれについて早いとこ書いておきたいと思って書きあぐねて、あるいは書き忘れているうちに年も明けてしまったんだが、去年最もかっこいいと思ったゲーム系Podcastは「ヒゲとパンダのおたわむれ」の「3年経ってもやってるゲームが変わってない奴ら」の回だ、ということだ。

何がかっこいいって、この回はなんと3年ぶりの更新なんだけど、そのことに特に触れるでもなく何かの会話の途中から始まって、ヒゲとパンダ(この番組の話者)の二人が今までの回と同じような感じでだらーっとお互いにしゃべって、番組としての体裁を整えるためのオチ的なとこに話を持っていくでもなくまた話の途中でスッと終わるのだ。この編集のリズム……レイドバックというか、いやなんかもっとある種の枯淡の境地みたいなのにマジで痺れた。「番組」が終わったり更新が長いこと停止していたとしても、別に「話すこと」が終わるわけではない。人生がコンテンツと同じように綺麗に終わるわけではない。つい2、3行前に「枯淡の境地」と書いたそれと真逆のようで同じことを別の言葉で言うが、人生がコンテンツのように綺麗に終わったりオチがつくわけではないということこそがつまり人生の豊かさを担保しているのだ。「前回」などあってないようなもので、3年ぶりだろうがなんだろうが、なんか途中で始まって途中で終わってしまって別にいいのだ……。

なんてことをなんかこう、感じたり感じなかったり、あるいは今こうやってエントリを書いている中で気づいた気になったりしましたね。語ることによって何か形作られるものがある。それはもしかしたら元の対象とは別のものになっているのかもしれないが、そういうエフェクトはあるよね、ということをなんかそういえば昔から考えていた、ような気もします。何があれかっていうと、このBlogもそんな感じであれしたいので、途中で始まって途中で終わることもあるかもしれんし間が空くこともあるかもしれん。でもそういうもんだよねという感じです。本当にそういうものなのだろうか。それはわからない。

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*1:結局酷使しすぎてその後だいたい14ヶ月周期くらいでネックバンド型ワイヤレスイヤフォン買い換えることになるのだが。今使ってるのはオーディオテクニカのこれ。ベージュの色が良いのでこれにした。