ゲームへたおじさんドットコム

1977年生まれの文系社会人。どこのクラスにも10人はいたような男のゲーム日記とメモと寄る辺のなさ。

「作業」とながらプレイ

そう言えば書いてなかったが、『Ghost of Tsushima』は最終的に90時間ちょっとくらいでシナリオクリアした。寄り道をけっこうしていたとはいえ、一般的なクリア時間に比べるとかなり時間がかかったほうだと思う。まあでもゲームがへたなんだからこんなもんだろうかね。境井仁という男の生き様を存分に味わえ、大満足であった。最後の選択に関しては冥人の鎧の染色「雪辱」(白いやつ)が手に入るものを俺は選んだが、「復讐」(赤いやつ)が手に入るものを選ぶ人のほうが多いみたいだね。だがどちらを選んでも境井仁の選択として納得でき、かつどちらでもいわゆる円満な解決ではないところに味わいがある。噛みしめていくしかない。わりとバッサリとエンディングクレジットに突入するところも意表を突いて良かった。

さて、そんなわけで本編クリア時点でのトロフィー獲得状況としてはだいたい70%強といったところだったので、これは久しぶりにトロフィーコンプリートを狙うかと思っていた。久しぶりというか、Xboxの実績システムでもPSのトロフィーシステムでも、コンプリートできたタイトルはごく僅かしかないんだが、まあそれはいい。調べてみると残りのトロフィーも特に高いスキルを要求するものではないようなので、あとちょっと時間をかければいいだけということであればやろう、と思ったのだった。

思ったのだったが……しばらく寝かせていた。他にも積んでいるゲームがあるのだ。そっちに手を付けねば、とかやってるうちにディレクターズ・カット版が配信された。追加シナリオ「壱岐之譚」も入っているのでこれは是非やらねばならない。また境井仁に会いたい……だけどその前に、トロコンしておこう、とやっと重い尻を上げたのが9月後半くらい。週末にちくちくやって、10月頭にやっとコンプリートした。だいたいプラス10時間弱くらいかかったのかな?

 

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最後に解除したのは神社以外の参拝箇所を10箇所廻るというやつだった。

 

シナリオクリア後に残っていたトロフィーは主にフィールド探索関係のものだったので、けっこう作業的ではあった。最初は普通にやっていたのだが途中で眠気が襲ってくることがあり、ついに覚悟を決めて禁断のプレイに手を染めることにしたのだった。禁断のプレイ……それは「ながらプレイ」……つまり音楽やラジオ、Podcastを聴きながらゲームをするという行為なのだ……別に普通か。

いや、俺はこういうところでなんか変に潔癖なところがあって、ゲームをプレイしているときはそれに全集中しなければいけないというドグマを持っている。プレイ中はゲームが発するすべての要素を余すところなく受けとめねばならない、という感じのドグマだ。なので初回のムービー、カットシーンの類は絶対に飛ばさないし、携帯ゲーム機やスマホで移動中にゲームをするときでも、基本的にはイヤホンでそのゲームのBGMを聴きながらじゃないとプレイする気にならない。アドベンチャーゲームでフルボイスの場合も少なくとも一周目では律儀に全会話を聴いてからボタンを押すほうだ(ただまあ、これはどうしても趣味に合わない話し方のキャラクターがいたりすると音声オフにしちゃうこともあるから、そこまで徹底しているわけではないかな)。

そんなわけなので「ながらプレイ」には忌避感があったのだが、そういうプレイをしている人がけっこういるという話はいろいろなところで見聞きする。特にオープンワールドゲームの場合は多いようだ。『Ghost of Tsushima』はもういいかげん90時間もプレイしたのだからさすがにいいだろう、ということでながらプレイをやってみたのだった。

ワイヤレスイヤホンを装着し、ゲーム系の話題を扱うPodcastを連続再生しつつフィールドを探索して取得していないアイテム等を探し、神社参拝のアスレチックを消化していく。もうここまで来るとほとんど頭で考えることもなく、淡々と、まさに「作業」のようにやっていく。時々手を休めてツシマの美しく荘厳で、でも「ゲーム」としての見映えを意識した人口的な風景を眺める。Podcastで気になる話題が出たのでそのことを調べるためにスマホを取り出して検索する。コーヒーを淹れて飲む。タバコを吸う。コントローラーを手に取って素早くメニュー画面を開き次の探索場所にピンを立てる。Podcastが次のエピソードを再生する。興味深いインディーゲームや昔のゲームについてプロの話者ではない人たちの寄り道多めの会話が続く。それを聴きながらぼんやりと、次は何のゲームを始めようかということを考え始める。残りのトロフィー取得条件を攻略Wikiで調べる。タバコを吸い、水を飲む。指は馴染んだ操作を無意識的に繰り返す。

そんなことをしているうちに、トロフィーコンプリートしていた。

 

例えばRPGのレベル上げなど、プレイ時間長めのゲームには作業的にならざるを得ない瞬間というのが一定量は確実に存在する。そこがゲームと他の娯楽メディアとの決定的な違いのひとつと言えるだろう。

指先と脳のごく一部を使うだけでできる操作を延々続けるのは、苦痛にもなるが、心の持ちようによってはある種の快楽にもなるし、滋味のある楽しみにもなる。今回、ながらプレイをして今更ながらに感じたのは、何か別のことをしながらのゲームプレイというのは日常生活に溶け込んだ「凪ぎ」の時間・空間にゲームを組み込むものだということだ。ビデオゲームを、非日常的な娯楽物のレイヤーから無意識の手遊び・手慰みに近いレイヤーまで降ろすこと。日々の営みに織り込むこと。俺にはこの感覚が足りてないところがあるなと前々から思っていたので、今後は意識してこの運用にしてみるというのもいいかもしれない。長いゲームのときは。

本編トロコンしたものの、追加シナリオ「壱岐之譚」にすぐ取りかかるのはなんだか無粋な気がして、ツシマはしばらく寝かせることにした。年末年始あたりに取りかかろう。