ゲームへたおじさんドットコム

1977年生まれの文系社会人。どこのクラスにも10人はいたような男のゲーム日記とメモと寄る辺のなさ。

映画『モータルコンバット』とファミ通クロスレビューの「ファンなら。」

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https://wwws.warnerbros.co.jp/mortalkombat-movie/

 

わー、もう7月か。早い。

我ながらかなり厳しめに「不要不急の外出」を控えているので、昨年からこちら、全然映画館に行っていない。とは言えそれにも限度があり、先日は「とにかくなんでもいいから映画館で映画を見たい」という気分に陥った。目を付けていた作品はどれも軒並み満席気味だったので、もうこれは本当になんでもいいやと、『モータルコンバット』を見ることにした。公開2日目の土曜日のことだ。

モーコン3度目の映画化(リブート)にして、アメリカではコロナ禍で長いこと休業していた映画館がやっと再開したあたりで公開されて『鬼滅の刃 無限列車編』と一位を争う大ヒットとなった作品である。このニュースを聞いたときに「鬼滅映画がアメリカでもヒットって、モーコン映画なんかと争ってるくらいだからぶっちゃけごく小規模の争いでしょ? まだ全然映画館やってない中での話でしょ?」とか舐めてたら普通に両作品ともに大ヒットだった。鬼滅ごめん、舐めてて。

ていうか95年のポール・アンダーソン版『モータル・コンバット』のイメージがあったから、モーコン映画リブートなんてどうせ本来ならビデオスルーする規模のやつがコロナ禍で映画館にかける作品なくてやってるだけでしょ……と完全に舐めてたのだった。モーコンもごめんね。

さて、実際に見た感想はというと……確かにこれは「ビデオスルーする規模のやつ」ではない。いわゆるビッグバジェット超大作ってわけではないんだろうが、絵作り的に安いところはない。ハリウッド的に有名なスターは出てないが、真田広之浅野忠信がメイン級の役で出てきて好演・怪演しているのは日本人としては嬉しい。ただ、まあ、その……。

 

唐突に話を変える。かつて、「ファミ通」のクロスレビューコーナーでアニメやマンガ原作のゲームがレビューされるとき、レビュアーがちょいちょい使っていた結語に「ファンなら。」というのがあった。クソゲーではないが、さりとて良作と言えるほどの傑出した点はなく、一見さんがわざわざプレイするほどのものではない、という塩梅の6点以上7点未満あたりのゲームのレビューの結びの言葉として用いられていたと思う(そしてたぶん、そのレビュアーが原作のファンではないときに)。

クロスレビューの各レビューの文字数は少ないため、表現はかなり切り詰められたものになる。そこで末尾にひり出されるのが「ファンなら。」で、この言葉にはレビュアーがそのゲームと雑誌読者の双方に対して信義を貫いたうえでどうバランスを取るかの苦慮の後が覗える、ような気がする。

ひどいゲームではない。しかし誰もが遊ぶべき作品と太鼓判を押すようなものでは決してない。でもまあ、届くべき人には届いてほしいよな……という逡巡を凝縮した末に放たれる「ファンなら。」……可もなく不可もない、いわゆる「版権ゲーム」だけど、取り立ててひどいところもないし、ファンだったら楽しめるかもね、というメッセージがそこには込められてるんじゃなかろうか。まあ、紋切り型表現として用いられていた場合もあるだろうけど。

何言ってんだ版権ゲームなんだから当然「ファン」向けの商品だろうがよ、という向きもあるだろうが、まあ今ほどそこらへんが厳密じゃなくそこそこ有名な原作だったらちょっと知ってる程度の人でも手に取るくらいの緩い空気が市場にまだあって、かつファミコン時代のように粗製濫造された版権ゲームばかりではなくなった、スーファミ中期~PS/SS初期くらいの頃の話、と思ってもらいたい。そういう時代の言葉だ、というのが個人的な印象だ。

 

閑話休題、今回の映画の話に戻る。映画を見終わったとき、否、映画を見ている最中から頭に浮かんでいた言葉がまさにこの「ファンなら。」だった。四半世紀以上の時を超え、メディアの枠も超えて、俺は当時のファミ通レビュアーの気分を体験していたのだ。

正直に言って、この2021年にもなって90~00年代初頭くらいのゲーム原作映画のような緩さを持った映画がまた見られるとは!(しかも劇場で)……というひねくれた感動はちょっとあった。CGIエフェクトとファイトコレオグラフィは現代版にアップデートされているし、ゴア描写も原作レベルに近づけようという(あの頃なら制作会議で真っ先に却下されたであろう)挑戦もあった。が、全編に漂う雰囲気はあの頃のゲーム原作映画そのものの、のんべんだらりと弛緩したものだった。

ただ、あの頃のゲーム原作映画と決定的に違うのは、制作陣が原作ゲームの原体験を持っている人たちであろうということで、そういう意味で観客(原作ゲームに思い入れがある人)へのおもてなしと目配せには共感の情――なんなら連帯感と言ってしまってもいい――がひしひしと感じられる。ただこれは本作に限らず、近年のゲーム原作(あるいはゲーム文化を題材にした)映画全般に共通する「昔とは違う」点で、まあなんだかんだ言ってビデオゲームも複数世代に跨がって定着する文化になった結果と言えるだろう。

そういう感慨も確かにありつつ、俺は「原作ゲームに思い入れがある人」ではなかったので、結果としては「ファンなら。」という結論に落ち着いたわけだ。モーコン、そりゃ俺も一般常識レベルでは当然知ってる。フェイタリティがまだ「究極神拳」と訳されてた頃のやつとか(セガマニアの友人の家で、お上品な奴ら向けのスーファミ版とは違ってメガドラ版は残酷表現規制なしなんだぜ! と自慢されたものだ)、あとゲームキューブの頃のやつをカオス館だったかゲームハリウッドで買ったりもしましたよ(お手製のフェイタリティコマンド表コピーをおまけでもらえる)。

でも残念ながら、思い入れと呼べるほどの強い感情はないので、まあ、これは、ね……という温度感の感想になった。終わりかたも(そしてそこで流れ始める音楽含め)、これは欧米の観客はブチ上がったんだろうなあ、でも俺は別に……というのが正直なところです。しょうがない、こればっかりはしょうがありませんよ!

そう、「全編に漂う雰囲気はのんべんだらりと弛緩したもの」というようなことを言いましたが、真田広之が出ているところは別で、そこだけはピリッとした空気が流れてました。ただどうも、真田広之が海外の映画とかドラマ出ると、そのシーンだけ作中のリアリティ、あるいはシリアスさのレベルが変動するというか、重めの味が出てくるのが不思議な感じで、ピリッとしてはいるけどちょっと他の部分とは浮いている気もする。一方で浅野忠信は常に目が白く光るエフェクトかけられてる(ライデン役なので)というのもあり、わりと怪演じみた領域になってて楽しかったです。

 

というわけで、公開3週目に入った今、思い入れある人はとっくに見に行ってるとは思うけど、ファンなら。

 

Mortal Kombat 11 Ultimate (輸入版:北米) - PS4