ゲームへたおじさんドットコム

1977年生まれの文系社会人。どこのクラスにも10人はいたような男のゲーム日記とメモと寄る辺のなさ。

年明け

ワーオ、年が明けた。昨年はほんとに仕事納めの前日、12/27まで殺人的に忙しくて、まあ正直人間性を失っていたね。それでもういい年齢なので恢復にも時間がかかり、年末年始は昏々と眠っていた。休みのときに一日中寝て過ごすと、貴重な休日を無駄にしたと落ち込んでしまうものだが、今回はこれはもう、明らかにダメージを負っている状態なのでまずはひたすら睡眠をとってゲージを回復させる必要があると痛感していたので、ある意味心穏やかに眠っていた。夢を見るようになり、明け方の変な時間にぱちりと目が醒めて、その長い夢のストーリーを思い返しながら小用をたして、また眠りに戻った。スピリチュアルじみているのであまりこういうことは言いたくないが、個人的な経験則では、長いストーリーの夢を見て、起きた直後にその話のスジを(どれだけ荒唐無稽で突拍子もないものであっても)繋げて思い出すことができれば、精神的な疲れが回復に向かっている証拠だ。たぶん、脳内にわだかまっている断片的なストレスや記憶や相反する感情を、一繋がりの物語として、何らかのロジックを用いて統合し自らに語り聞かせようという機能が働いている。自分自身で自動的に行っている物語療法のようなものだ。セルフ・オートマティック・ナラティブ・セラピー……S.A.N.T.……サント……いや、今てきとうに名付けただけだが……もうちょっとなんか気の利いた略語になったり音がかっこよかったら良かったのに……S.C.A.N.(スキャン)とか……C. はなんだ……ク、クリニック……? セルフ・クリニック・オブ・オートマティック・ナラティブセラピー……どうだろうか。いやそれはともかく、起きてちょっとの間だけでも思い出せるくらいには繋がっている夢を見たなら、回復傾向にあるという話だ。

だが今回はとにかく疲れ果てていたので、そこからもうちょっと長かった。なので何をするにも億劫で、今もまだそんな傾向があるんだけど、忙しいときに溜め込んでおいた趣味の物件にもなかなか手が出ない。寝る前に妻と『アドベンチャー・タイム』を一話だけ見るので精一杯といった塩梅だ。

本も映画もTVドラマも溜め込んでいるが、ゲームの話をすれぼ、2017年はゲームの当たり年でさまざまな名作、傑作、問題作、話題作が各所でリリースされたということがよく言われるが、いやあまったくやれてないですね……マジでやれてない。それでまあ、大作をやる体力はまだ戻ってないので、インディー系の小品だったらなんとかいけるだろうと思って積んでるのをとりあえず片っ端からやってみたんだけど……これがまあダメだ。具体的にどのタイトルとは言わないけど、プレイを始めてしばらくは、おおー、カッティングエッジな、あるいはポップでキャッチーなアートワーク……環境音のみの静謐な音響設計、あるいはグルーヴィなチップチューンの洪水……そしてゲームメカニクスと密接にリンクするナラティブの仕掛け……エモい、エモすぎる……! などと一通り感激するんだが、10分もたつと「パズル」が始まったり、残されたメモやボイスログから「いなくなった人たち」の人生を想起させようとしたり、またパズルが始まったり、急に歩くのが遅くなったり、またパズルが始まったりするので、もうパズルはいいよ! いなくなった奴らのことも知らんしやがて来る死の予感も感じたくないよ! あとおとぎ話風に見せかけて残酷な何かを匂わせるとか! あと死の予感とか! ……という気分になって投げ出してしまうのだった。まあこちらの体調が悪いからしかたないのだ。ゲームに罪はない。

そんなわけで何をプレイしてもうまくいかないのだが、それでも年末年始ちょいちょいプレイできたのはiOSの『どうぶつタワーバトル』だった。これくらい短時間の負荷のやつじゃないと遊べないくらい衰えていた、ということで、まあ今年はゲーム体力の回復と増進に努めます。